機械学習が解き明かす新たな水素化反応メカニズム
機械学習が解き明かす新たな水素化反応メカニズム
――超高密度水素貯蔵材料開発への画期的突破口――
発表のポイント
- 機械学習が迫る反応の謎:機械学習を駆使したシミュレーションにより、加圧時に材料表面が一時的に液状化し、水素を効率的に取り込む全く新しい反応メカニズムを発見。
- 画期的成果:このシミュレーションにより、従来と比べ飛躍的に水素貯蔵能力を高めた「スーパーハイドライド」の合成過程を理論的に解明することに成功。
- 未来技術への扉:スーパーハイドライドは、水素社会実現の鍵となる高効率水素貯蔵材料や次世代超伝導材料開発に革命をもたらす可能性を秘めています。

機械学習が明らかにしたスーパーハイドライド合成プロセス。カルシウム水素化物(CaH2)の表面が溶けて水素分子(H2)が吸収され、カルシウムスーパーハイドライド(CaH4)の固相が得られる。
概要
東京大学大学院工学系研究科の佐藤龍平助教と、東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR)所長・折茂慎一教授(金属材料研究所 兼務)、李昊教授、ケンブリッジ大学クリス ピッカード教授らによる国際研究チームは、最先端の機械学習を駆使して「スーパーハイドライド」(注1)と呼ばれる超高密度水素化物の合成反応を再現することに成功しました。
研究チームは、未知の反応経路にも対応可能な高度な機械学習ポテンシャル(注2)を第一原理計算(注3)に基づいて構築し、カルシウム水素化物(CaH2)が高温・高圧環境下でカルシウムスーパーハイドライド(CaH4)へと劇的に変化する過程を分子動力学シミュレーション(注4)で可視化することに成功しました。これにより、材料表面が一時的に液状化して水素を効率的に取り込み、最終的に固体化する反応経路が明らかになりました。この液状化促進メカニズムは、圧力と水素化反応によって引き起こされる普遍的な反応機構であると示唆されています。
この成果により、従来の水素化物と比較して飛躍的に多くの水素を貯蔵できるスーパーハイドライドの精密制御を可能にし、次世代水素貯蔵材料(注5)への応用というブレイクスルーをもたらすことが期待されます。さらに、未知の化学反応経路を予測する機械学習の新しい応用事例としても、材料科学の未来を拓く先駆的意義を持ちます。
本研究成果は、2025年5月29日(米国東部時間)に「Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS)」にて掲載されました。
発表内容
スーパーハイドライドは極めて多くの水素を含むことが可能で(例:CaH4で90 g-H2/kg, 250 g-H2/L)、水素貯蔵材料としてのブレイクスルーが期待されています。一方で、その合成には数十ギガパスカル(GPa)の高圧が必要で反応の制御が難しく、1:6の割合で水素を含むカルシウムスーパーハイドライド(CaH6)の例では構造予測から合成まで10年を要しました。高圧下では熱分析などの手法が限られ、反応過程の理解が進まないことがスーパーハイドライド開発のボトルネックとなっています。これらの物質に水素化反応制御の指針を与えることは、水素貯蔵と超伝導(注6)の両分野に貢献すると期待されています。このような材料開発のブレイクスルーは、カーボンニュートラル社会の実現を支える水素基本戦略とも密接に関係しており、基礎研究にとどまらず実社会上も重要な課題です。
本研究チームは、既知の水素および水素化物の第一原理計算を利用して、機械学習ポテンシャルを構築しました。このポテンシャルを用いて、スーパーハイドライドの合成反応を分子動力学シミュレーションによって原子レベルで解析しました。
機械学習は、あらかじめ学習した構造や条件の範囲において、材料の特性を高い精度で再現できることが知られています。そのため、これまで機械学習は固体材料の特性解析や反応経路がすでにわかっている材料にだけしか適用できませんでした。そこで、本研究では、反応経路が未知の場合にも適用可能な機械学習モデルの構築を目指しました。具体的には、水素の含有量が異なるデータや高温での不安定な構造をあらかじめデータとして取り込み、反応過程に出現しうる不安定な構造を含めて学習することで、実際の反応中に近い構造をモデルの適用範囲に含める工夫を施しました。これにより、反応経路が明示的にわかっていなくても、モデルが暗黙的に反応中の構造を再現できるようになりました。
この新たに構築した機械学習モデルを用いた分子動力学シミュレーションにより、CaH2の表面が高温・高圧条件下で、CaH4の液相へと遷移しながら水素が吸収される反応が観測されました(図1)。

図1:高温・高圧(1200 ℃、40 GPa)でのCaH4合成反応の分子動力学シミュレーション
材料表面が溶けて乱れ、水素分子(紫線、大きさは1 Å(読み方はオングストローム、100億分の1 m)以下)が吸収されていく。反応が完全に進行すると分子状の水素のようなものを含んだCaH4の固相が得られる。シミュレーションの時間スケール(t)は、ピコ秒(1兆分の1秒)。
高圧環境では、水素が取りこまれることで材料全体の体積が減少し、エネルギー的に有利になります。そのため、圧力を上げると図2の黒、赤、青線とエネルギーが下がるのが確認されるように表面が一時的に溶けて水素化が起こる表面融解反応が、低い障壁で進行します(図2)。液体状態では水素の動きは速く、この条件では反応が早く進みます。水素の取り込みが終わると、水素化反応のエネルギーがなくなるため液体状態を維持することができず、固体へと戻って安定なスーパーハイドライドが形成されます。

図2:CaH4の合成反応中の各状態のエネルギーの圧力依存性
左:圧力を上げると固相(s)と液相(l)のCaH4両方が安定化して縦軸のエネルギーの値が下がり、表面の液化を介した反応が起こりやすくなる。
右:水素化反応が終了すると水素化のエネルギー分、液相CaH4が不安定になり固体に戻る。
本研究が明らかにした「圧力と分子反応による液化→反応促進→固化」という反応経路は、水素を含む高圧化学に共通のメカニズムとして位置づけられ、高圧物理化学の理解を一段と深める成果です。特に、圧力変化に対するエネルギー変化や材料の融点といった比較的簡単に計算できる材料特性が、反応条件を決める材料特性であることを示し、実験的な材料合成への貢献が期待されます。さらに、本研究で構築した機械学習モデルは、水素貯蔵材料の未知反応の予測と再現を可能にし、合成可能性の探索を加速する手段となります。これにより、高密度水素貯蔵が可能なスーパーハイドライドの実用化に向けた理論的指針が得られ、今後の水素エネルギー社会に貢献することが期待されます。
研究助成
本研究は、JST革新的GX技術創出事業(GteX)「革新水素貯蔵-水素反応の精密解析とデジタル技術の援用-(課題番号:JPMJGX23H1)」およびJSPS科研費「若手研究(課題番号:JP23K13542)」の支援により実施されました。また、本研究の計算は東京大学物性研究所および東北大学サイバーサイエンスセンターのスーパーコンピュータを利用し行われました。
用語解説
- (注1)スーパーハイドライド
- 超化学量論組成水素化物。10 GPa~数100 GPaの圧力下で合成される水素含有量の非常に高い材料。材料内の水素の密度が高いため、水素が互いに相互作用し電子を共有するため超伝導性能を発現することが報告されている。
- (注2)機械学習ポテンシャル
- 第一原理計算より得られる原子の配置に対するエネルギーや力のデータを基に作られる原子の配置からエネルギーや力を計算する第一原理計算を模倣する機械学習モデル。
- (注3)第一原理計算
- 元素の種類と原子の配置を利用して、量子力学の支配方程式に基づいて電子状態を計算し、物質の電子状態に基づく性質を調べる方法。これにより経験的なパラメータの設定をせずに物質の安定性(エネルギー)や原子間に働く力を求めることができる。
- (注4)分子動力学シミュレーション
- 材料を構成している原子の運動について、運動方程式を解くことによりその軌跡を追跡する計算手法。各原子に作用する力および初期位置・速度が分かれば、各時間のすべての原子の位置および速度が一意に決定される。
- (注5)水素貯蔵材料
- 合金などの固体水素貯蔵材料は、自身の体積の約1000倍にも相当する水素を内部に取り込むことが可能であり、体積あたりの貯蔵密度が高いという点で有望な材料である。一方で、材料の質量あたりの貯蔵量をいかに高めるかが課題となっている。この材料系は2023年に改訂された「水素基本戦略」でも明記されているように、2050年のカーボンニュートラル実現に向けて、水素社会を支える重要な材料として注目されている。
- (注6)超伝導
- ある種の金属、合金、化合物などの温度を下げていくと、ある温度(転移温度:Tc)で電気抵抗が急激にゼロとなる現象。基礎科学だけではなく、エネルギー分野、産業・輸送分野、医療分野、情報・通信分野など、幅広い領域で応用に向けた研究が行われている。スーパーハイドライドに代表される水素化物系の材料では、材料内の水素の密度が超伝導特性に大きく影響している。
論文情報
タイトル: | Surface Melting-Driven Hydrogen Absorption for High-Pressure Polyhydride Synthesis |
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著者: | Ryuhei Sato, Lewis J. Conway, Di Zhang, Chris J. Pickard, Kazuto Akagi, Kartik Sau, Hao Li, Shin-ichi Orimo |
掲載誌: | Proceedings of the National Academy of Sciences (PNAS) |
DOI: | 10.1073/pnas.2413480122![]() |
問い合わせ先
研究に関すること
東京大学大学院工学系研究科 マテリアル工学専攻
助教 佐藤 龍平(さとう りゅうへい)
Tel: | 03-5841-7119 |
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E-mail: | r-sato@g.ecc.u-tokyo.ac.jp |
東北大学材料科学高等研究所
所長 折茂 慎一(おりも しんいち)(研究者プロフィール)
Tel: | 022-215-2093 |
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E-mail: | shin-ichi.orimo.a6@tohoku.ac.jp |
報道に関すること
東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR) 広報戦略室
Tel: | 022-217-6146 |
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E-mail: | aimr-outreach@grp.tohoku.ac.jp |
東京大学大学院工学系研究科 広報室
Tel: | 03-5841-0235 |
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E-mail: | kouhou@pr.t.u-tokyo.ac.jp |
科学技術振興機構 広報課
Tel: | 03-5214-8404 |
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E-mail: | jstkoho@jst.go.jp |
JST事業に関すること
科学技術振興機構 未来創造研究開発推進部 GteX推進グループ
波羅 仁(はら まさし)
Tel: | 03-3512-3543 |
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E-mail: | gtex@jst.go.jp |