ファンデルワールス二層構造: 単層の剛性により強誘電体が室温以上で安定化
2025年06月23日
理論モデルにより、ソフトスライディングフォノンモードが強誘電体の相転移を制御することを解明

本研究を主導したPing Tang特任助教
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WTe2(二テルル化タングステン)やh-BN(六方晶窒化ホウ素)などのファンデルワールス二層構造は「滑り強誘電性(SF)」を示すことが知られている。SFとは、単層間の特定の積層構造により電気分極が発生し、極めて低いエネルギー障壁で層間スライドが起こることで、その分極がスイッチングする現象である。これにより、エネルギー効率の高いスイッチングが可能となり、材料の柔軟性が向上するため、不揮発性メモリやフレキシブルナノエレクトロニクスなどの超薄型・低消費電力強誘電体デバイスへの応用が期待される。
強誘電体研究における未解決の課題は、WTe2やh-BNのSFについて、電気分極のスイッチング障壁が極めて低いにもかかわらず、なぜ室温を大きく上回っても安定状態を維持できるのか、という点である。従来の相転移理論では、これらの二次元材料が安定した強誘電秩序を示すには、十分な障壁が必要であるとされていた。そのため、スイッチング障壁が極めて低いことが実証されている滑り強誘電体において、SFの顕著な安定性を説明することができなかった。
2023年、AIMRのPing Tang特任助教とGerrit E.W. Bauer教授率いる研究チームは、この未解決の課題に対処するため、新たな熱力学モデルを開発した1。研究チームは、単層の高い面内剛性が熱揺らぎを抑制し、強誘電秩序を強化することによって、SFの熱的安定性が得られていると考えた。さらに、平均場自己無撞着フォノン近似を用いて電気感受率と比熱を計算し、単層の機械的特性と強誘電体の安定性を定量的に結びつけることに成功した。
本研究の鍵となったのは、滑り強誘電体の相転移を制御する「ソフトスライディングフォノンモード」を特定したことである。従来の強誘電体の相転移は、各結晶格子内における双極子の反転によって生じていた。しかし、滑り強誘電体では、キュリー温度においてソフトフォノンが引き金となり、二層構造全体がスライドするという集団的な動きによって、強誘電体から常誘電体へと転移することが明らかとなった。
Tang特任助教は、「層間のファンデルワールス力が弱く、層がずれやすいため、極めて低いスイッチング障壁は安定した強誘電秩序の形成に不利だと考えられてきました。しかし今回、単層の高い面内剛性が熱による二層構造全体のスライドを抑制し、強誘電体の安定性を高めていることが明らかとなりました。スイッチング障壁の低さと剛性の高さのバランスが、WTe2やh-BNの高いキュリー温度を実現する上で重要な役割を果たしており、これが他の低次元強誘電体材料とは異なる特性の起源となっています」と説明する。
本研究の結果、WTe2やh-BNの二層構造が高いキュリー温度を示すのは、極めて低いスイッチング障壁と優れた面内剛性が絶妙なバランスをとっており、このバランスが熱による急激な脱分極を防いでいることが明らかとなった。この特性は、他の低次元磁性材料や強誘電体とは異なるものである。
「私たちは、ファンデルワールス二重構造において、滑り強誘電性の熱的安定性メカニズムに関する理論的かつ統一的な枠組みを確立することに成功しました。ソフトスライディングフォノンを相転移の駆動因子として特定し、単層の剛性の役割を明らかにすることで、滑り強誘電体の相転移メカニズムを解明することができました。さらに、その知見を非強誘電性二層構造の転移にまで拡張しました。これらの成果は、次世代の低消費電力エレクトロニクス、スピントロニクス、ツイストロニクスなど、広範な分野に影響を与えるものと考えています」と、Tang特任助教は語っている。
A personal insight from Dr. Ping Tang
この研究で最もやりがいを感じたのはどのような点ですか?
最もやりがいを感じたのは、長年の課題をシンプルな解析モデルで解決できたことです。私は理論物理学者として、複雑な自然現象から本質的な要素を抽出し、それを通じてより深い理解を得ることを目指しています。今回の研究では、ファンデルワールス二層構造の強誘電体における一見すると矛盾する現象を、物理的直感に基づいた平均場理論によって解決し、「ソフトスライディングフォノンモード」が相転移を制御していることを明らかにしました。複雑な物理現象を、最小限ながらも本質を捉えたモデルで表すことができ、とても満足しています。この経験は、洗練された理論的枠組みの力を改めて確信させるものでした。
(原著者:Patrick Han)
Highlight article
- Tang P. and Bauer G.E.W. Sliding Phase Transition in Ferroelectric van der Waals Bilayers Physical Review Letters 130, 176801 (2023). | DOI: 10.1103/PhysRevLett.130.176801

このリサーチハイライトは原著論文の著者の承認を得ており、記事中のすべての情報及びデータは同著者から提供されたものです。