生物の脳神経回路の構造を模した培養系モデルを開発

2023年08月28日

国立大学法人東北大学

生物の脳神経回路の構造を模した培養系モデルを開発

─ モジュール構造の機能的意義に関する新視点を提供 ─

発表のポイント

  • 微細加工基板上でラット大脳皮質の神経細胞を培養し大脳皮質を特徴づける「モジュール構造」(注1)をもつ神経回路を構築しました。
  • モジュール構造をもつ培養神経回路(注2)では、外部からの非同期的な入力に対する感受性が上がり、神経活動の同期性を高めたり下げたりしやすくなることを明らかにしました。
  • 脳情報処理における非同期的な信号やモジュール構造の機能的意義に関する新しい視点を提供します。

概要

哺乳類の大脳皮質においては、複数の神経細胞が同期して活動する状態と細胞がそれぞれ個別に発火する状態の均衡が保たれていると言われています。このような発火状態は、他の領域から受け取る信号と大脳皮質のネットワークの構造の相互関係によって制御されていると考えられますが、これを系統的に検証するための有効な実験系が存在しませんでした。

東北大学電気通信研究所の山本英明准教授と平野愛弓教授(材料科学高等研究所兼担)らの研究チームは、スペインのバルセロナ大学とグラナ大学およびドイツのマックスプランク研究所と共同で、微細加工したガラス基板上でラット大脳皮質の神経細胞を培養し、このような現象を調べるための独自の実験系を構築しました。そして、哺乳類の大脳皮質で見られる「モジュール性」という特徴を強く持った培養神経回路ほど外部入力に対する感受性が強くなり、培養神経回路特有の過剰な同期が崩されやすくなることを明らかにしました。さらに、一連の実験結果を説明するシミュレーションモデルを構築し、入力を常時受けることによってシナプス伝達で放出される神経伝達物質が減少することが鍵になっていることを突き止めました。

この研究は生物が進化の過程で保存してきた回路構造の機能的意義を明らかにするものであり、その特徴を工学的に活用した新しい医工学デバイスや人工ニューラルネットワークモデルの提案などへとつながることが期待されます。

本研究成果は、2023年8月25日(米国時間)に国際科学誌Science Advancesに掲載されました。

詳細な説明

研究の背景

哺乳類の大脳皮質には、視床などの皮質下領域から非同期的な信号が常に送られています。この信号はただのノイズと思われがちですが、大脳皮質の動的状態を変化させ、感覚入力に対する感受性やダイナミクスの複雑性といった特性を変調している可能性があります。従って、非同期信号によって大脳皮質神経回路の状態がどのように変調されるかを理解することは、神経科学の重要な課題でした。

非同期信号が加わると神経回路の同期性が低下することは直感的に理解できます。実際に、視床から大脳皮質への入力が弱まると、大脳皮質での神経同期が強まることが動物実験や脳スライス標本での実験で調べられています。一方で、脳のような複雑ネットワークでは、外部から加わる入力に対する応答は、一般的に、素子のつながり方に依存します。従って、大脳皮質神経回路の動的状態は、視床などから非同期的な入力と神経回路の構造との相互関係によって制御されていると考えられます。しかし、これまでは、このような仮説を検証するための有効な実験系が存在しませんでした。

今回の取り組み

東北大学の研究チームは、微細加工を施したガラス基板上でラット大脳皮質の神経細胞を培養することで、様々な構造を持った神経回路を人工的に構成し、その入力応答を計測する実験系を構築しました(図1)。本研究では特に、生物の脳神経系で進化的に保存されてきたモジュール構造(注1)に注目し、モジュール性が異なる3種類の培養神経回路(注2)を作製しました。視床からの入力を模した非同期信号は光遺伝学(注3)的手法により印加し、神経活動は蛍光カルシウムイメージング(注4)により計測することで、光を使って細胞と外界の間の入出力を制御しました。

実験の結果、モジュール性の強い回路ほど外部入力に対する感受性が強くなり、培養神経回路特有の過剰な同期が崩されやすくなることが分かりました。また、細胞外のカリウム濃度を上昇させることで神経回路全体の興奮性を一斉に上昇させた場合にはこのような変化が起きなかったことから、ここで観察された脱同期には入力信号が非同期的である必要があることを示しました。

本研究ではさらに、バルセロナ大学、マックスプランク研究所、グラナダ大学との共同研究を通じて、一連の実験結果を説明する2つのシミュレーションモデルを構築しました。スパイキングニューラルネットワークと呼ばれる生物学的妥当性の高いモデルでの解析では、外部から入力を常時受けることによってシナプス伝達で放出される神経伝達物質が減少することが鍵になっていることが分かりました。この現象は、モジュールの機能を抽象化したメゾスコピックな神経回路モデルに落とし込むことができ、モジュール間の信号伝達に確率的にゲーティングされることが実験結果の記述に本質的に重要であることを明らかにしました。

今後の展開

これまでにもモジュール構造は、神経回路における同期と非同期状態の均衡を保ち、また神経回路の損傷耐性を高めるなどの機能的意義があると言われてきましたが、今回の実験により、モジュール構造を有するネットワークでは同期状態の制御性が高まるという新たな側面が明らかになりました。現在,脳機能の神経基板の理解は、生命科学や医療だけでなく、脳型ハードウェアや人工ニューラルネットワークに代表される機械学習の開発においても重要性を増しています。本研究は生物が進化の過程で保存してきたネットワーク構造の機能的意義を明らかにするものであり、生体機能を精緻に再現した培養系モデルの構築、その医工学応用、さらには生体の特徴を工学的に活用した新しい人工ニューラルネットワークモデルの提案などへと繫がることが期待されます。


図1. 構築した実験系の模式図(左)とモジュール構造型培養神経回路の顕微鏡写真(右)。黄色で囲った領域に含まれる神経細胞に刺激を印加した。

図2. モジュール構造を有する培養神経回路に非同期的な信号が印加されると、神経細胞間の同期性が低下し、ネットワークの活動が脱同期する。上段:神経細胞の発火のタイミングを示すラスタープロット。4つのモジュール(0番~3番)毎に配列して表示している。入力は0番と2番のモジュールに印加した。中段:培養神経回路全体の集団発火率。下段:代表的な時刻における蛍光カルシウムイメージングの様子。そのタイミングで発火が起きた細胞が明るく観察される。

謝辞

本研究は、科研費・学術変革領域研究(B)「脳神経マルチセルラバイオコンピューティング(略称:多細胞バイオ計算)」(JP21H05164)、科研費(JP18H03325, JP19H00846, JP20H02194, JP20K20550, JP22H03657, JP22K19821, JP22KK0177, JP23H03489)、JSTさきがけ(JPMJPR18MB)、JST-CREST(JPMJCR19K3)、東北大学電気通信研究所共同プロジェクト研究などの助成の下で行われました。

用語解説
注1. モジュール構造
密に結合した集団(モジュール)が全体の中に複数存在しているようなネットワークの構造。生物の脳神経系の特徴の1つとして、進化的に保存されていることが知られている。
注2. 培養神経回路
実験動物の脳から採取した神経細胞をシャーレ内で育てて形成した回路。微細加工を施した特殊な表面上で細胞を培養することで、生物の脳に近い配線構造をシャーレ上に再構成することができる。
注3. 光遺伝学(オプトジェネティクス)
神経細胞に遺伝子導入した光感受性イオンチャネルを活性化させることにより培養神経回路を構成する特定の神経細胞に刺激を入力する手法
注4. 蛍光カルシウムイメージング
細胞内のカルシウムイオン濃度に応じて蛍光強度が変化する生体分子や化学物質を用いて、神経細胞の活動を可視化する手法

論文情報

タイトル: Modular architecture facilitates noise-driven control of synchrony in neuronal networks
著者: Hideaki Yamamoto,*† F. Paul Spitzner,† Taiki Takemuro, Victor Buendía, Hakuba Murota, Carla Morante, Tomohiro Konno, Shigeo Sato, Ayumi Hirano-Iwata, Anna Levina, Viola Priesemann, Miguel A. Muñoz, Johannes Zierenberg, Jordi Soriano*
*共同責任著者:東北大学電気通信研究所 准教授 山本英明、バルセロナ大学 准教授 Jordi Soriano
†共同第一著者:東北大学電気通信研究所 准教授 山本英明、マックスプランク研究所 大学院生 F. Paul Spitzner
掲載誌: Science Advances
DOI番号: 10.1126/sciadv.ade1755新しいタブで開きます

問い合わせ先

研究に関すること

東北大学電気通信研究所
准教授 山本英明

Tel: 022-217-6102
E-mail: hideaki.yamamoto.e3@tohoku.ac.jp

報道に関すること

東北大学電気通信研究所 総務係

Tel: 022-217-5420
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