「人工培養脳」が時系列データの処理を改善
「人工培養脳」が時系列データの処理を改善
~物理リザバーとして新たな可能性を拓く~
発表のポイント
- ラットの細胞を用いて組み上げた「人工培養脳」の計算能力をリザバーコンピューティング注1の枠組みに基づいて解析しました。
- 生きた細胞が作る神経ネットワークは数百ミリ秒程度の短期記憶を持ち、これを利用して人間の発話音声のような時系列データの分類を実証しました。
- 「人工培養脳」に基づくリザバー計算機はカテゴリー学習を可能にし、計算性能を向上させるための汎化フィルター注2として機能することを解明しました。
- 生物の神経回路の振る舞いをより精緻に模倣した機械学習や脳型ハードウェアの開発につながると期待されます。
概要
機械学習やAIは、生物の脳の働きを数学的に模倣することにより発展してきました。しかし、神経細胞が集まりである脳で高度な情報処理が実現される詳細なメカニズムは、いまだ完全に理解されていません。
東北大学電気通信研究所の住 拓磨氏(大学院医工学研究科大学院生)、山本英明准教授、平野愛弓教授(材料科学高等研究所兼担)らと公立はこだて未来大学の香取勇一教授の研究チームは、リザバーコンピューティングと呼ばれる機械学習の新しい枠組みを用いて、ラットの大脳皮質神経細胞で構成した「人工培養脳」の計算能力を解析するための一連の実験を成功させました。
本実験では、培養された神経細胞ネットワークの多細胞応答を光遺伝学と蛍光カルシウムイメージングを用いて記録し、リザバーコンピューティングを使用してその計算能力を解析しました。実験の結果、「人工培養脳」は数百ミリ秒程度の短期記憶を持ち、これを利用して時系列データの分類が可能であることが示されました。
さらに興味深いことに、一つのデータセットで訓練されたネットワークには、同じカテゴリーの別のデータセットを分類することができたため、「人工培養脳」がリザバーコンピューティングの性能を向上させるための汎化フィルターとして機能することが明らかになりました。この研究結果は、生きた細胞が作る神経ネットワーク内部の情報処理に関するメカニズム理解を進展させるとともに、「人工培養脳」に基づく物理的なリザバー計算機の実現可能性を広げます。
本研究成果は、2023年6月12日に米国科学アカデミー紀要 PNASのオンライン版で公開されました。
詳細な説明
研究の背景
私たちの脳は、視覚を司る領域や、聴覚を司る領域、運動を司る領域など、いくつかのモジュール(機能のまとまり)から成り立っています。さらに、視覚領域1つをとっても、その中で神経細胞が複数の集団を形成し、モジュールとして機能しています。このようなモジュール構造はヒト以外にも様々な動物の脳神経系でも進化的に保存されている重要な構造ですが、このような非ランダムなネットワーク構造が、生きているニューロンの物理化学的な特性とどのように統合されて神経回路の情報処理機能を特徴付けるかはまだ明らかではありません。脳の作動原理を調べる王道の手法は、モデル動物やヒトの脳など、できあがった脳を詳しく調べるというアプローチです。私たちは今回、それとは逆のアプローチ、すなわち、作ることで理解する、という工学的な方法論で脳神経回路の働きを理解することを目指しました。そして、モジュール構造を有する「人工培養脳」をシャーレ上に作り上げ、さらにリザバーコンピューティングと呼ばれる機械学習の新しい枠組みを用いて、その計算能力を解析するための一連の実験を成功させました。
今回の取り組み
東北大学と公立はこだて未来大学の研究チームは、リザバーコンピューティングと呼ばれる機械学習の新しい枠組みを用いて、ラットの大脳皮質神経細胞で構成した「人工培養脳」の計算能力を解析するための一連の実験を成功させました。リザバーコンピューティングは、高次元非線形システムの過渡的な動態を利用して時系列データを処理する方法で、もともとは、哺乳類の大脳皮質における情報処理をモデル化する目的で提案されました。今回、研究チームは、ラット大脳皮質神経細胞をマイクロ加工基板の上で培養することにより「人工培養脳」を構成し、その多細胞応答を光遺伝学と蛍光カルシウムイメージングを用いて記録した上で、リザバーコンピューティングの枠組みを使用してその計算能力を解析しました。
実験の結果、「人工培養脳」は異なる箇所に入力されたパルス入力を分類することが可能であり、ネットワークのモジュール性が分類精度と正の相関を示すことが初めて示されました。また、「人工培養脳」が数百ミリ秒程度の短期記憶を持ち、これを利用して人間の発話音声のような時系列データの分類が可能であることを実証しました。さらに興味深いことに、「人工培養脳」に基づくリザバー計算機はカテゴリー学習を可能にし、一つのデータセットで訓練されたネットワークが、同じカテゴリーの別のデータセットを分類することができました。線形分類器で入力信号を直接解読すると、このような分類は不可能であったことから、「人工培養脳」はリザバーコンピューティングの性能を向上させるための汎化フィルターとして機能することが示唆されました。
今後の展開
この研究結果は、生きた神経細胞が作るネットワーク内部の情報処理に関するメカニズム理解を進展させるとともに、「人工培養脳」に基づく物理的なリザバー計算機の実現可能性を広げます。今後の研究で、これらの発見が生物の神経回路とその潜在的な応用領域にどのように影響を及ぼすかを詳しく調べる予定です。この研究はまた、生物の神経回路の振る舞いをより精緻に模倣した機械学習や脳型ハードウェアの開発にもつながることが期待されます。

図1. 人工培養脳を使用したリザバー計算機。人間の発話音声(数字の0を英語で発音した“zero”)が入力されると、人工培養脳は入力を多細胞応答に変換する。その信号を、線形分類器で読み出すことで、時系列信号の分類が達成される。図中の人工培養脳は4つの四角形とそれらを結ぶ細い線内に成長するように設計され、モジュール性を持たせている。本実験では、人工培養脳がこのようなモジュール性を有することで、分類性能が改善されることを明らかにした。

図2. 人工培養脳が汎化フィルターとして機能することの実証。学習時とテスト時に、話者を入れ替えても、「人工培養脳」に基づくリザバー計算機は、話された数字の分類に成功した。話者入れ替え時の分類精度は、話者の入れ替えがないときよりは低下するが、分類がランダムより高いレベルで達成された。人工培養脳を用いず、線形分類器で入力信号を直接解読すると、このような分類は不可能であったことから、「人工培養脳」はリザバーコンピューティングの性能を向上させるための汎化フィルターとして機能することが示唆された。
謝辞
本研究の一部は、科研費・学術変革領域研究(B)「脳神経マルチセルラバイオコンピューティング(略称:多細胞バイオ計算)」(JP21H05163, JP21H05164)、科研費(JP18H03325, JP19H00846, JP20H02194, JP20K20550, JP21J21766, JP22H03657, JP22K19821, JP22KK0177)、JSTさきがけ(JPMJPR18MB)、JST-CREST(JPMJCR19K3)、東北大学電気通信研究所共同プロジェクト研究の助成の下で行われました。
用語解説
- 注1. リザバーコンピューティング
- 機械学習で使用されるリカレントニューラルネットワーク(RNN)について、学習の効率化と計算量の削減のために、一部のモデルパラメータのみを学習するアイデアのもと、提示されたモデル。このモデルは、重みを固定したRNNによって、入力データを非線形変換し、出力層の重みを学習して、所望の出力を得るように設計される。リザバーは必ずしもニューラルネットワークである必要はなく、さまざまな物理系を利用して構築することもできる。それらは一般に、物理リザバーと呼ばれる。
- 注2. 汎化フィルター
- 入力データの中に存在する普遍的な特徴やパターンを強調し、カテゴリーごとに分類しやすくする信号処理プロセスのこと。
論文情報
タイトル: | Biological neurons act as generalization filters in reservoir computing (生物の神経細胞はリザバーコンピューティングにおいて汎化フィルターとして機能する) |
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著者: | Takuma Sumi, Hideaki Yamamoto*, Yuichi Katori, Koki Ito, Satoshi Moriya, Tomohiro Konno, Shigeo Sato, Ayumi Hirano-Iwata *責任著者:東北大学電気通信研究所 准教授 山本英明 |
掲載誌: | Proceedings of the National Academy of Sciences, U.S.A. |
DOI番号: | 10.1073/pnas.2217008120![]() |
問い合わせ先
研究に関すること
東北大学電気通信研究所
准教授 山本英明
Tel: | 022-217-6102 |
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E-mail: | hideaki.yamamoto.e3@tohoku.ac.jp |
公立大学法人公立はこだて未来大学
教授 香取勇一
Tel: | 0138-34-6233 |
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E-mail: | katori@fun.ac.jp |
報道に関すること
東北大学電気通信研究所 総務係
Tel: | 022-217-5420 |
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E-mail: | riec-somu@grp.tohoku.ac.jp |
公立大学法人公立はこだて未来大学 企画総務課
Tel: | 0138-34-6449 |
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E-mail: | a-dm@fun.ac.jp |