電気で操る磁石の研究で新発見

2021年05月14日

国立大学法人東北大学
国立研究開発法人日本原子力研究開発機構

電気で操る磁石の研究で新発見

~電子スピンで「沈黙の磁石」にGHzのモーター回転~

発表のポイント

  • 四半世紀にわたる磁石の電気的制御の研究に新たな可能性をもたらす新現象を発見
  • 電子スピンで「沈黙の磁石」反強磁性体内に恒常回転を誘起し、磁気構造を高効率に操作
  • 従来にない発振器や乱数生成器などの新機能スピントロニクス素子の実現が期待

概要

電子の持つ電気的性質と磁気的性質(スピン)を同時に利用するスピントロニクスにより、磁石を電気的に操ることができます。これは四半世紀にわたるこの分野の中心的な課題であり、様々な現象が発見され、応用展開が拓かれてきました。

東北大学材料科学高等研究所の竹内祐太朗特任助教、学際科学フロンティア研究所の山根結太助教、電気通信研究所の深見俊輔教授、大野英男教授(現東北大学総長)、日本原子力研究開発機構の家田淳一研究主幹らは、強い磁気を内部に秘する「沈黙の磁石」反強磁性体に電子スピンを作用させたときに生じる現象を調べ、内部のカイラルスピン構造(注1)が無磁場中で恒常的に回転する新現象を発見しました。また、この回転の周波数はGHz程度であり、モーターと同様に入力する電流の大きさに応じて変化することを明らかにしました。これは磁石の電気的制御の四半世紀の研究史で見出されたいずれの現象とも一線を画すものであり、またそれらと比べて極めて小さな電流で誘起できることから、従来技術では実現できない発振器や乱数生成器などの新機能・高効率スピントロニクス素子の実現へと繋がるものと期待されます。

本研究成果は2021年5月13日付(英国時間)で英国の科学誌「Nature Materials」でオンライン公開されました。

詳細な説明

カイラルスピン構造の恒常回転運動

スピントロニクスでは電子の持つ電気(電荷)と磁気(スピン)の二つの顔を同時に利用することで現れる現象を明らかにし、工学的に利用することを目指します。スピントロニクスの原理により、それまで温度や磁場でしか変えられなかった磁石の内部状態を電気的に操ることができます。これはここ四半世紀のスピントロニクスの中心的な課題であり、様々な制御手法、磁石内部の磁気構造の挙動、そしてそれらの工学利用可能性が明らかになってきました。

今回、東北大学と日本原子力研究開発機構の共同研究チームは、独自に開発した高品質ノンコリニア反強磁性薄膜において、カイラルスピン構造(注1)の恒常回転運動という新現象を発見し、これによって従来技術よりも遥かに効率良く磁石内部の磁気構造を操れることを明らかにしました。図1は本研究の結果を従来技術と比較したものです。磁気構造を磁場で操る場合の閾値磁場と電流で操る場合の閾値電流密度の比が性能指標として縦軸で用いられ、横軸は磁性体の膜厚として示されています。本研究で扱ったノンコリニア反強磁性体は、これまで研究が行われてきた材料系と比べて、膜厚が厚く、かつ磁場で操作しにくいものを電流で極めて効率的に制御できることが分かります。

図2は本研究で行われた実験の概要を示したものです。研究チームは独自に開発した高品質薄膜形成技術を用い、代表的なノンコリニア反強磁性材料であるMn3Sn(マンガン-スズ合金)がW(タングステン)とTa(タンタル)の積層下地膜上に堆積され、Pt(白金)でキャップされた構造を作製し、ここに膜面内方向に電流を導入した時にMn3Snのカイラルスピン構造に誘起される現象を調べました。図2の左上に示されたMn3Sn層の断面電子顕微鏡像から、方位の揃った高品質の薄膜が形成されていることが分かります。図2の右側には今回の研究で発見されたカイラルスピン構造の恒常回転運動が模式的に示されています。膜面内方向に導入された電流により、W/Ta下地層、及びPtキャップ層におけるスピンホール効果(注2)を介して膜面直方向にスピンの流れが生じ、それが非共線的に配列した磁気モーメントに作用することでカイラルスピン構造が恒常的に回転することが明らかになりました。また理論計算からこの回転の速度はおよそ1 GHz(1秒当たり10億回転)以上であり、モーターと同様に導入する電流の大きさに応じて回転速度が速くなることが分かりました。

本研究の学術的意義、および今後の展望

本研究で扱ったノンコリニア反強磁性体は磁気モーメントが安定状態で非共線的(ノンコリニア)に配列していることを特徴とする反強磁性体です。正味の磁化を持たないにも関わらず、有限の磁化を持つ強磁性体でのみ生じると考えられていた異常ホール効果(注8)や磁気光学効果(注9)などが発現することが明らかになり、近年その物性が精力的に調べられています。2020年には東京大学のグループによって、磁場中で電流を印加することで強磁性体の磁化反転と同様にそのカイラルスピン構造を一斉に180度反転させられることが示されました。一方でノンコリニア反強磁性体特有の現象やその機能性は明らかにはなっていませんでした。

今後、本研究で発見されたカイラルスピン構造の恒常回転運動を利用することで、広い周波数帯をカバーする発振器や、信頼性の高い物理乱数生成器など、従来技術では実現できない新機能スピントロニクス素子の実現へと繋がっていくことが期待されます。

図3は今回発見された現象をこれまでの磁気秩序の電気的制御の研究で明らかになっていた代表的な現象と比較した模式図です。左の3つはコリニア(共線的)な磁気構造を有する強磁性体で発見された現象です。左から順に、磁化反転(注3)、強磁性・常磁性相転移(注4)、発振・共鳴(注5)などが電気的に誘起されることが示されてきました。このうち磁化反転については2018年頃から不揮発性メモリ(注6)の情報の書き換え手法として産業利用され、また発振・共鳴については通信技術や脳型計算技術などへの応用に向けた研究開発が行われています。2016年になると、相対論的効果を用いることで反強磁性体のネールベクトル(注7)を90度回転させられることが示されました。反強磁性体は、ミクロには強い磁気を持ちながら正味の磁化を持たず、従来手法では制御する術のない言わば「沈黙の磁石」であり、長らく工学的利用価値は限定的と考えられていました。この研究により、今その認識は大きく改められつつあります。今回発見されたカイラルスピン構造の恒常回転現象は、運動の周波数が電流で連続的に変調できるという点で強磁性体の発振・共鳴とは異なり、また運動が恒常的に継続するという点で磁化やカイラルスピンの反転、ネールベクトルの回転とも異なり、これまでの磁石の電気的制御の研究で観測されてきたいずれの現象とも一線を画すものです。

本研究の一部は、日本学術振興会 科学研究費助成事業/科学研究費補助金/基盤研究(S) 19H05622, 特別研究員奨励費19J13405, 学術研究助成基金助成金/研究活動スタート20K22409などの支援を受けて行われたものです。

図面

図1)本研究で発見されたノンコリニア反強磁性体のカイラルスピン構造の恒常回転運動と従来研究で見出された現象の比較。縦軸は磁気構造を電気的に制御する場合と磁場で制御する場合に必要な電流密度(JC)と磁場(HC)の比(µ0は真空の透磁率)。横軸は磁性体の膜厚。右上に行くほどより体積が大きく、磁場で反転させにくい磁性体を電流で効率的に反転させられることを意味する。本研究で扱ったノンコリニア反強磁性体に加え、従来の研究で扱われてきたコリニア強磁性体、コリニア反強磁性体(図ではフェリ磁性体(注10)の結果が示されている)が比較されている。

図2)本研究で行った実験と得られた結果の模式図。(左)用いた積層構造(W/Ta/Mn3Sn/Pt)の模式図(Pt層は省略されている)と、Mn3Sn層の断面高分解能透過型走査電子顕微鏡像。(右)発見されたカイラルスピン構造の恒常回転の模式図。

図3)本研究の位置付けを表す概念図。これまでの磁石の電気的制御に関する研究では、コリニア強磁性体の磁化反転、磁性相転移、発振・共鳴、コリニア反強磁性体のネールベクトル回転、ノンコリニア反強磁性体のカイラルスピン構造反転などが示されていた。本研究ではノンコリニア反強磁性体を用い、新現象が明らかになった。

用語解説
注1)カイラルスピン構造
図2右側、図3右端のように、各サイトでの磁気モーメントの方向を一定角度ずつずらした磁気構造。
注2)スピンホール効果
物質に電流を導入した際、電流と直交する方向にスピンの流れ(スピン流)が生成される現象。スピンの偏極方向は電流とスピン流の両者に直交する。
注3)磁化反転
磁石(強磁性体)のS極からN極に向かうベクトルを磁化ベクトル(または磁化)と言い、その方向が反転することを磁化反転と言う。
注4)磁性相転移
磁石の内部の磁気モーメントが平行に揃った状態を強磁性状態、互いに打ち消し合うように規則正しく揃った状態を反強磁性状態、磁気モーメントが熱でランダムに運動し、磁場を印加すると平均的にその方向に向く状態を常磁性状態、逆方向に向く状態を反磁性状態と言う。取り得る状態は一般に物質の種類と温度で決まる。物質の状態がこれらの相の間で遷移することを磁性相転移と言う。
注5)発振・共鳴
一般に周期的な信号を持続的に発生できる状態を発振状態、外部からの周期性のある信号に呼応してその位相の整数倍または整数分の1倍の位相で運動する状態を共鳴状態と言う。スピントロニクス素子では直流入力に対して磁化がある一定の周波数で歳差運動するスピントルク発振、及び共鳴条件を満たす高周波入力に対して磁化が歳差運動するスピントルク強磁性共鳴が起こることが知られている。
注6)不揮発性メモリ
電源をOFFにしても情報を保持し続けられるメモリを不揮発性メモリと言う。現行のコンピュータの一時記憶メモリで用いられているSRAMやDRAMは電源をOFFにすると情報が消失する揮発性メモリである。スピントロニクス素子を用いた不揮発性メモリ(Magnetoresistive Random Access Memory; MRAM)はSRAMやDRAMと同等の速度、同等の耐久性を有し、かつ不揮発性を提供できると考えられ、コンピュータの大幅な低消費電力化に貢献すると期待されている。
注7)ネールベクトル
強磁性体の磁気秩序を磁化で表すのに対応し、反強磁性体の磁気秩序はネールベクトルで表される。磁化ベクトルがすべての磁気モーメントを足したものを全体の体積で割ったものであるのに対し、ネールベクトルは隣り合う磁気モーメントの引き算で与えられる。
注8)異常ホール効果
強磁性体に電流を流したとき、磁化と電流の両方と直交する方向に起電力が発生する現象。
注9)磁気光学効果
磁場をかけた物質や磁性を持つ物質に光が入射した際、その偏光状態が変化する現象の総称。磁気光学カー効果はその代表例で、直線偏光が強磁性体に入射した際、反射光が強磁性体の磁化方向に応じて楕円偏光となる現象。
注10)フェリ磁性体
反強磁性体と同様に隣接する磁気モーメントが互いに打ち消し合う方向に配列しているが、隣接する磁気モーメントの大きさが異なるために巨視的には有限な磁化を有する物質。

<付記>
本研究は、主に竹内(東北大)、山根(東北大)、ユン(東北大)、伊藤(東北大)、陣内(東北大)、金井(東北大)、家田(原研)、深見(東北大)、大野(東北大)によって行われました。実験に関する部分は主に竹内が担当し、それをユン、伊藤、陣内、金井、深見が補助しました。理論計算は主に山根、家田が行いました。研究全体は家田、深見、大野が統括し、参画研究者全員が研究のまとめ方に関する議論に寄与しました。

掲載論文

Title: “Chiral-spin rotation of non-collinear antiferromagnet by spin-orbit torque”
(スピン軌道トルクによるノンコリニア反強磁性体のカイラルスピンの回転)
Authors: Yutaro Takeuchi, Yuta Yamane, Ju-Young Yoon, Ryuichi Itoh, Butsurin Jinnai, Shun Kanai, Jun’ichi Ieda, Shunsuke Fukami, and Hideo Ohno
Journal: Nature Materials
DOI: 10.1038/s41563-021-01005-3新しいタブで開きます

問い合わせ先

研究に関すること

東北大学電気通信研究所
教授 深見 俊輔

Tel: 022-217-5555
E-mail: s-fukami@riec.tohoku.ac.jp

報道に関すること

東北大学材料科学高等研究所 広報戦略室

Tel: 022-217-6164
E-mail: aimr-outreach@grp.tohoku.ac.jp