注目の研究者
研究分野の枠を超えて

2019年01月28日

マリー・キュリーに憧れて科学者を志したAIMR主任研究者の平野愛弓教授は、先達の日本人女性研究者の活躍にも触発され、ラットの神経細胞から作成した神経回路網や、薬物の副作用の検出に役立つ人工細胞膜の研究に邁進している。

平野愛弓教授の研究生活は分析化学者として始まったが、現在は、微細加工、生体材料、化学、電子工学、神経科学、生理学と多分野にまたがる研究を行っている。
平野愛弓教授の研究生活は分析化学者として始まったが、現在は、微細加工、生体材料、化学、電子工学、神経科学、生理学と多分野にまたがる研究を行っている。

AIMResearchは、東北大学材料科学高等研究所(AIMR)の主任研究者である平野愛弓教授に話を聞いた。平野教授の研究はバイオエレクトロニクスやナノバイオテクノロジーなど多くの分野にまたがっており、最近では数学者との共同研究も始まっている。平野教授は2006年から東北大学に勤務し、2016年にAIMRの主任研究者となった。AIMRは、学際的なアプローチにより研究分野間の垣根を越えようとする平野教授のような研究者を積極的に支援している。

AIMResearch: 日本で女性研究者としてキャリアを積むことは容易ではありません。どのようなきっかけで科学者になられたのですか?

平野教授: きっかけは、中学生の頃にマリー・キュリーに関する本を読んで刺激を受けたことでした。大学生になって研究を始めたばかりの頃は、分からないことが多くて少し苦労しましたが、最初のハードルを越えると、自分で仮説を立てることの面白さや、仮説が正しいと分かったときの喜びを味わえるようになりました。卒業後、研究職を探すのは大変でした。当初は職を得られた分析化学の研究だけを行っていたのですが、やがて一つの分野に留まっていることに窮屈さを感じるようになりました。もっと物理学に基礎を置いたテクノロジーを研究したくなったのです。いくつかの研究機関を経た後、2006年に東北大学に移り、微細加工や医薬物質に関する研究を始めました。その研究が非常にうまくいったのです。

AIMResearch: これまでの研究者人生のハイライトを一つ聞かせてください。

平野教授: 私は、薬が心臓に副作用を及ぼす可能性を検出するために、心臓の細胞膜を模倣した人工細胞膜センサーの開発を行っています。最初に作製した人工細胞膜は非常に壊れやすく、センサーとして使用することはほぼ不可能でした。そこで、微細加工技術を用いて人工細胞膜の安定化を試みたところ、大変うまくいったのです。この成果は紛れもなく私の研究者人生のハイライトの一つです。

人工細胞膜センサーの研究は今も続けています。薬の副作用は一人一人違いますから、このアプローチを発展させて個別化医療に応用したいと考えています。微細加工技術を用いて個々の患者に合わせた副作用センサーを開発することができれば、微細加工を個別化医療に応用するアプローチの有効性を示せると考えています。

AIMResearch: 他にはどういったプロジェクトに取り組んでおられますか?

平野教授: ラットの脳から神経細胞を取り出し、小さなガラスチップの上に配置して回路を作製するプロジェクトも進めています。この回路はミニチュアの脳のようなもので、最近では、実際の脳に似た機能を持たせられるようになってきました。わずか数個の神経細胞で構成する回路もあれば、100個ほどの神経細胞を使う回路もあります。

AIMResearch: 平野教授は学際的な研究に取り組んでおられますが、具体的にはどういった分野に及んでいるのですか?

平野教授: 私の研究は、微細加工、生体材料、化学、電子工学、神経科学、生理学に関係しています。また、つい最近はAIMRの数学連携グループリーダーである水藤寛教授をはじめとする数学者との共同研究も始めました。

AIMResearch: 学際研究を進めるにあたって困難に直面したことはありますか?

平野教授: 最初はお互いにコミュニケーションをとるのを難しく感じました。けれども、勘違いをきっかけに研究が前進することもあります。例えば、人工細胞膜を作製する際は、膜の形成場となる微細孔の作製が必須なのですが、この研究を開始した頃、私はこの作製工程をよく理解していませんでした。一方、微細孔の作製を担当した研究者も、膜の生物学的性質を十分理解していませんでした。結果的にお互いの勘違いで、微細孔の縁にテーパーのついた滑らかな形状の孔が出来上がったのです。ところが、この「勘違い」が膜の安定化に大変有効であることが判明したのです。まさに思わぬ発見でした。

研究室のスタッフと議論する平野教授。AIMRには共同研究を促進する研究環境があると感じている。
研究室のスタッフと議論する平野教授。AIMRには共同研究を促進する研究環境があると感じている。

AIMResearch: AIMRはどのような方法で学際研究を促進していますか?

平野教授: AIMRでは、さまざまな分野の科学者が集まる研究集会が開催されます。例えば、私が数学者のシンポジウムに参加したりするのです。それはAIMRに来なければありえなかった初めての経験でした。私は当時、人工細胞膜の作製に取り組みながら、膜安定性の向上に最適な微細孔の構造を解明しようと奮闘していました。しかし、実験で見出した構造は意外な形状をしており、なぜそのような形状が有効なのか、全く理解できないでいました。ところが、AIMRで開催された国際シンポジウムで、前述した数学の水藤教授の講演を聴き、「この先生なら、この謎を解明できるかもしれない」と思ったのです。講演の後、水藤教授に話しかけると、私との共同研究に意欲を見せてくださいました。AIMRの数学者は皆、他の分野の科学者に快く手を差し伸べてくれます。私のように材料やデバイスを研究する者にとっては願ってもないことです。AIMRでは本当に共同研究がやりやすいのです。ジュニア主任研究者の藪浩准教授なども、生体材料と数学の融合研究プロジェクトに取り組んでおられます。

AIMResearch: 東北大学以外の研究者とはどのように連携していますか?

平野教授: 山形大学の微細加工研究者や埼玉大学のタンパク質研究者と共同研究を行っています。人工細胞膜の評価には、豊橋技術大学の科学者が力を貸してくださっています。海外との連携としては、バルセロナ大学のJordi Soriano准教授などと共同研究を進めています。Soriano准教授は神経系を専門としておられ、私たちが作製した神経細胞回路から得られた複雑なデータを見事に解析してくださいます。また、米国ミネソタ大学の小規模神経細胞ネットワークの専門家Tay Netoff准教授とは、人工神経細胞ネットワークの構築に共同で取り組んでいます。

AIMResearch: AIMRと東北大学の研究環境を女性研究者としてどのように感じておられますか?

平野教授: 女性研究者を取り巻く状況は、私が学生の頃から大きく変わりました。幸い私は博士課程に進むことができましたが、当時は女性を博士課程の学生として受け入れようとしない教授もいました。今では環境が一変し、女性の方が有利と言えそうなほどです。東北大学は日本で初めて女子学生の入学を認めた大学であり、全学をあげて女性研究者を支援し、女性リーダーを育成するシステムを構築してきました。

AIMResearch: ロールモデルとなる人物はいましたか?

平野教授: もちろん、最初はマリー・キュリーに憧れていました。日本人では、私と同じ東京大学理学部化学科出身の川合眞紀教授という一流の研究者がいらっしゃいます。川合教授は、走査トンネル顕微鏡を用いた単分子分光法を開発されたことで知られ、2018年に女性として初めて日本化学会会長に就任されました。表面科学の一分野を開拓された研究者であり、私も川合教授のように、一分野を生み出せるような研究者になりたいと思っています。また、高い評価を得ておられる九州大学の玉田薫教授も、良きロールモデルです。身近なところでは、小谷元子AIMR所長がいらっしゃいます。AIMRに一流数学者の女性所長がおられるのは大きな励みになります。小谷所長はそのリーダーシップをもってAIMRを率いながら、科学への女性参画を強力に推進する東北大学の伝統に則して、女性にとって魅力的な研究環境の形成に尽力されています。