国際パートナーシップ
最強のタッグ

2016年02月29日

ケンブリッジ大学のAIMRジョイントリサーチセンターの研究者たちは、「データ記憶の高速化」や「太陽光による水素生成」に必要とされる材料開発において、画期的な方法を見出すべく、様々な探求を行っている

2015年11月、AIMR機構長の小谷元子教授(左)とケンブリッジ大学物理科学系スクール長のAlan Lindsay Greer教授は、ケンブリッジ大学AIMRジョイントリサーチセンターの契約更新の協定書に署名した。
2015年11月、AIMR機構長の小谷元子教授(左)とケンブリッジ大学物理科学系スクール長のAlan Lindsay Greer教授は、ケンブリッジ大学AIMRジョイントリサーチセンターの契約更新の協定書に署名した。

これまで東北大学原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)とケンブリッジ大学が築いてきたパートナーシップは、カルコゲナイド、金属ガラス、水素材料などのエキゾチック材料の開発において、数多くの興味深い知見をもたらしてきた。こうした知見は「電源を切っても情報を保持していられる高効率コンピューターメモリー」や、「太陽光エネルギーや水素エネルギーにより実現する経済」を身近なものにするかもしれない。

両研究機関の連携を進めてきたケンブリッジ大学の物理科学系スクール長でAIMRの主任研究者でもあるAlan Lindsay Greer教授は、「ケンブリッジは『ベストとベスト』、すなわち最良の連携しか求めていません。だからこそ材料科学分野ではAIMRをパートナーに選ぶのです」と言う。2012年、AIMRは、ケンブリッジ大学との長年にわたる協力関係を本格的なものにするために、同大学にAIMRジョイントリサーチセンター(AJC)を設置した。それ以来、このセンターは、その後に設置された二つのAJC(カリフォルニア大学サンタバーバラ校、中国科学院化学研究所)のモデルとしての役割も果たしてきた。

ケンブリッジのAJCは、当初は金属材料に重点を置いていたが、現在は材料科学、化学、数学の幅広い研究テーマに取り組んでいる。ここでは、常勤の研究員を3名雇用し、アニュアルワークショップを開催して交流を深めている。Greer教授は、「研究機関が健全であるためには、幅広い研究を行わなければなりません」と言う。「興味深い進展の多くは、学問と学問の境界領域で起こるからです」。

金属ガラスを若返らせる

Greer教授が初めて日本を訪れたのは、博士研究員だった1981年、東北大学で開催された会議に参加するためだった。このとき、様々な想定外の出来事に遭遇したという。東京から鉄道で仙台へ向かったところ、台風でダイヤが大幅に乱れた上、道中で体調を崩し、仙台の病院で3週間の入院を余儀なくされたのだ。「日本語のひらがなとカタカナを学んだり、納豆の味を覚えたりする時間ができたのは、貴重な体験になりました」。

この滞在が、金属ガラスの領域に共同研究の種をまくことになった。金属ガラスは記録破りの強度と柔軟性を示す材料だ。「もう50年以上も研究されているのに、未だに驚くような発見があるのです」とGreer教授。

最近では、AIMRの主任研究者であるDmitri Louzguine教授と共同研究を行っている。Louzguine教授は、各種の加工熱処理を施した金属ガラスの構造と特性の変化を研究している。なかでも熱アニーリングという加工熱処理では、金属ガラスは低エネルギー・高密度の「老化」状態になり、脆くなることが多い。「老化に至るまでの時間を巻き戻すことができればと思うのは人間だけではありません」とGreer教授は言う。「幸い、金属ガラスは人間よりも若返らせやすいのです」。

その共同研究の成果として、2015年8月、AIMRとケンブリッジ大学の共同研究チームは、中国の共同研究者とともに、「室温と液体窒素温度の間で熱サイクルを繰り返すという簡単な方法で金属ガラスを若返らせることができる」という論文をNatureに発表した。金属ガラスは熱サイクルにより、高エネルギーの未緩和状態に逆戻りするのである。「連携がなければ、この研究は絶対に成功しなかったでしょう」とGreer教授は説明する。「スキルと技術と設備を結集することの利点を実証した共同研究でした」。

ガラスになったりガラスでなくなったり

AIMRジョイントリサーチセンターの研究員であるJiri Orava助手は、不揮発性メモリーへの応用が期待されるカルコゲナイドという化合物群を研究している。
AIMRジョイントリサーチセンターの研究員であるJiri Orava助手は、不揮発性メモリーへの応用が期待されるカルコゲナイドという化合物群を研究している。

ガラスは「原子や分子が周期的に配列した規則正しい結晶構造」を形成しないように液体を冷却することによって形成される。結晶化しにくい(すなわちガラス形成能に優れた)液体を使えば、よりサイズの大きいガラスを作製できるため、金属ガラス研究者の多くは、できるだけ結晶化しにくいガラス形成液体を探し出そうと努力している。

これに対して、ケンブリッジAIMRジョイントリサーチセンター(AJC)の研究者たちは、純粋な金属やカルコゲナイドという化合物群など、結晶化しやすい液体を探索している。2012年11月にAJCに加わったJiri Orava助手は、「私たちが求めているのは、ガラス形成能という意味において『最悪のガラス形成体』なのです」と言う。Orava助手は、Greer教授やLouzguine教授のほか、AIMRの主任研究者であるMingwei Chen教授と連携して研究を行っている。カルコゲナイドの中には、150℃までガラス状態を維持し、それ以上になると急速に結晶化するものがある。しかも、この高速転移は可逆的に起こるのだ。こうした相変化特性を示すカルコゲナイドは、電子データ記憶デバイスの高速化を可能にする材料として魅力的だ。「この種のカルコゲナイドガラスは、めざましい若返りを示すのです」とGreer教授。

Orava助手は今、カルコゲナイドの性質を調べるとともに、この材料を用いて既存の不揮発性メモリーを改良する可能性を探っている。不揮発性メモリーとは、電源を切っても情報を保持していられるメモリーのことで、これを現在の主流である電源を供給して情報を保持する揮発性メモリーと張り合えるものにするためには、ナノ秒のタイムスケールで結晶化させる必要がある。カルコゲナイドは高温でこの変化を達成できる可能性があったが、研究者たちは当初、この高速結晶化過程を測定・解明する手段を持ち合わせていなかった。

2012年、Orava助手とGreer教授は初めて、動作温度範囲にわたってカルコゲナイド液体中の結晶成長速度を定量化し、その結果をNature Materialsに発表した。さらに2015年7月には、温度変化に対して異なる応答をする別のカルコゲナイドガラスの結晶成長挙動を評価することができた。

興味深いことに、カルコゲナイドのガラスから結晶への転移は段階的に起こり、これまでに最大16の中間段階が特定されている。「つまり、0か1かの二進記録システムを、十六進システムに拡張できる可能性があるのです」とOrava助手。この性質は、人間の脳神経細胞の挙動を真似て設計したコンピューターシステムにも利用できるかもしれない。

「私にとって、AJCに所属する最大のメリットは、自由に研究ができることです」とOrava助手は言う。「両方の研究機関で、そこにしかないような設備を利用することで、自分のアイデアを容易に実現することができるのです」。この数年で共同研究者との信頼関係や友情を得られたことも重要だという。「大したことではないと思われるかもしれませんが、共同研究をするときには、互いの研究を信用することが本当に大事なのです」。

太陽エネルギーを水素に閉じ込める

AJCの研究員であるKatherine Orchard助手は、これまでよりも直接的なルートで太陽エネルギーを水素燃料電池に貯蔵する方法を見いだした。
AJCの研究員であるKatherine Orchard助手は、これまでよりも直接的なルートで太陽エネルギーを水素燃料電池に貯蔵する方法を見いだした。

AJCの研究員であるKatherine Orchard助手と、ケンブリッジ大学化学科のErwin Reisner主任研究者は、これまでよりも直接的なルートで太陽エネルギーを水素燃料に閉じ込める方法を発見した。

太陽光や風力のような再生可能エネルギー源がエネルギーインフラの中で主要な位置を占めるためには、安価で簡便なエネルギー貯蔵法を開発して安定供給を可能にする必要がある。貯蔵法の一つは、エネルギーを化学結合に変換することだ。クリーンでエネルギー密度が高く、水と太陽光から作れる水素は、その有力な候補となっている。光を吸収して水分子を水素と酸素に分解するプロセスは、半導体ナノ粒子によって促進できる。Orchard助手とReisner主任研究者は、この系の活性を最高200倍まで高める方法を見いだした。

Orchard助手は、光触媒反応に精通しているReisner主任研究者と、ナノ材料の専門家であるAIMR主任研究者の阿尻雅文教授と、高度な分子合成技術を持つAIMRの浅尾直樹教授の協力を得て、半導体ナノ粒子系を電極に固定化し、水素を生成できる光活性電極を作製しようとしている。

2015年には、Orchard助手とReisner主任研究者と阿尻教授が、リーズ大学の研究者たちとともに、タンパク質膜上に酸化チタンナノ粒子を集合させたバイオハイブリッド光電極を開発した。「人工の燃料生成デバイスを改良するために、自然が編み出した電荷輸送戦略(導電性タンパク質)を利用している点で、この研究は重要です」とOrchard助手は説明する。

Orchard助手はAIMRとケンブリッジ大学の連携の緊密さについて、「研究室間でいつでも情報交換できるので、各研究室で新しい材料が開発されると、すぐに新しい応用方法を検討することができます」と説明する。「例えば、現在Reisner研究室が触媒材料として研究している新しいナノ材料は、もともとは浅尾研究室で環境浄化のために開発されたものでした」。

このような柔軟な「知の展開」の源はどこにあるのか。AIMR機構長の小谷元子教授は、「AIMRとケンブリッジ大学で行われている研究の幅の広さが、両研究機関の多様な連携を可能にしているのです」と言う。

日英の研究者が織りなす自由自在なコラボレーションは、これからも、材料科学の地平に確実に足跡を残していくことだろう。