国際ワークショップ
スピントロニクスの未来を見つめて
2015年12月20日
東北大学が設立した高等研究機構の新しい研究施設において、スピントロニクス分野の第一級の研究者を招いたワークショップが開催された
電子スピンに関する研究分野「スピントロニクス」は、現在のディスクドライブの高い記憶容量の基礎をなすだけでなく、メモリー技術やコンピューター処理技術のさらなる小型化、高速化、高性能化、高効率化を可能にすると期待されている。電子スピンの量子力学的性質に関する研究の進展はめざましく、スピンに基づくエレクトロニクスへの新たな道が毎年のように提案されている。
そのような活気あふれる状況の中、2015年9月から12月にかけて、スピントロニクス研究の未来を探る一連のイベントが東北大学「知の館」で開催され、ノーベル賞受賞者を含む第一級の研究者たちが参加した。イベント会場となった知の館は、「学外から招聘した研究者と、テーマに基づいて、集中的に議論するための場」を創ろうとする小谷元子AIMR機構長の発案によって実現した魅力的なスペースである。
今回のスピントロニクスに関する一連のワークショップは、「東北大学 知のフォーラム」のイベントとして開催された。知のフォーラムは、日本政府と半導体メーカー・東京エレクトロン(株)の支援を得て2013年に始まったプログラムであり、訪問滞在型の研究センターである。これまでにブラックホールや脳科学など様々なテーマの学術イベントが開催されている。 知のフォーラムのような訪問滞在型研究センターは日本では珍しいが、小谷機構長は米国や欧州の研究センターを参照し、「数学や理論物理学の分野ではよくあるスタイルで、新しい重要な問題を突き止めるのに非常に効果的です」と語る。「私たちは、そうした研究センターを日本で初めて設立したのです」。
数学と材料科学との出会い
シリーズ最初のワークショップは、トポロジーという数学分野をスピン科学に応用する可能性を検討するもので、10月5~9日に開催された。トポロジカル絶縁体は、ユニークなスピン現象により表面だけ電気を通す新規な材料で、トポロジカルに保護された状態を持つが、この状態は先端数学の適用により理論的に予測されたものである。物理学や材料科学の新しい発見はしばしば新しい数学を生み出し、新しい数学はしばしば物理学や材料科学の新しい発見をもたらす。オーガナイザーを務めた小谷機構長の狙いは、そうした幸運な出会いを促すワークショップを開くことにあった。約60名の参加者の一部にとっては、通常のワークショップとは勝手が違う、新しい体験となったようだ。
カリフォルニア工科大学量子情報・物質研究所のSpyridon Michalakis研究員は、最初は数学者の自分が招待されたことに驚いたが、すぐに、自分は材料科学者に多くのことを教えられると気づいたという。「私たちの数学は、材料科学者がどのような構造を探索し、開発するべきかについて、よいヒントを与えられるところに来ています。こうした材料をどのように調べれば、量子コンピューティングなどに応用できるエキゾチックな特性を得られるかという助言をすることもできます」。
カリフォルニア大学デービス校の数学者Bruno Nachtergaele教授は、知の館の設計に感心していた。知の館には各所に黒板が設置されていて、研究者たちがコーヒーや紅茶を飲みながら討論できるレイアウトになっている。「数学の説明を聞くときに、近くに黒板があるのは非常に便利です。さっと式を書いて、それを見ながら話し合うことができますから」とNachtergaele教授。「論文を読むだけで専門外の分野を理解するのは難しいですからね」。
これらのコメントは、学融合を促す知のフォーラムが、そして、創造性を刺激する設計の知の館が、今回の一連のワークショップを通して、多くの研究者を魅了したことを物語っている。
量子ナノ構造と国際単位系
10月19~21日に開催された2番目のワークショップは、量子ナノ構造という新しい分野をテーマとし、そうした系の電子スピンと核スピンの相互作用に焦点を合わせたものだった。核スピンは、核磁気共鳴(NMR)や磁気共鳴イメージング(MRI)装置に広く利用されているが、量子レベルではそれほど利用されていない。約80名の参加者でにぎわった今回のワークショップのオーガナイザーを務めた東北大学の平山祥郎教授は、「量子系の物理の理解を深めるためには、電子スピンや核スピン関連の現象の物理を理解することが極めて重要です。この技術は、スピンや核スピンを利用した量子コンピューティングに応用される可能性があり、そうなれば次のコンピューティング革命を引き起こすでしょう」と説明する。
2番目のワークショップのハイライトは、Klaus von Klitzing教授によるユーモアをまじえた魅力的な講演だった。von Klitzing教授は、量子ナノ構造における量子ホール効果を実験的に発見した業績により、1985年にノーベル物理学賞を受賞している。それ以前にも理論研究が行われていたが、von Klitzing教授の実験により、途方もなく高い精度での量子化という、予想外の知見が得られたのだ。von Klitzing教授は講演で、量子ナノ構造の研究がもたらした意外な成果を指摘した。それは、国際単位系の定義の全面的な見直しだ。これまで物体や物理系を標準としていたキログラム、アンペア、ケルビンなどの物理単位の定義を、プランク定数、電気素量、ボルツマン定数などの基本物理定数に基づく定義に改めることが提案されているという。
今回、平山教授がvon Klitzing教授を招待することができたのは、25年にわたる親交があったからだが、新しい研究センターも大きな役割を果たした。「これまでノーベル賞クラスの研究者を招待するのは非常に難しかったのですが、知のフォーラムが設立されたおかげで招待しやすくなりました」と平山教授は語ってくれた。
磁性のタイプ
これ以降も、スピントロニクスをキーワードに様々な角度からのワークショップが続いた。11月16~17日に開催された3番目のワークショップに参加した研究者たちは、スピントロニクスの世界で最近関心を持たれるようになった反強磁性について議論した。隣り合うスピンが同じ方向を向こうとする強磁性体とは異なり、反強磁性体のスピンは平行だが互い違いの向きになろうとする。ワークショップのオーガナイザーを務めた東北大学金属材料研究所(IMR)のOleg Tretiakov助教と、IMRとAIMRの両方に所属するGerrit Bauer教授は、「スピントロニクスと反強磁性をテーマに掲げる国際会議が開催されたのは、これが初めてです」と言う。
Tretiakov助教とBauer教授によれば、「反強磁性体は強磁性体よりも有利です」とのこと。反強磁性体は正味の磁化がゼロであり、不要な浮遊磁場を発生させないからだ。「けれども同じ理由から、外部磁場を用いて反強磁性体を制御するのは困難です」。この点については、最近になって、電流を用いて反強磁性体を操作する方法が見いだされたので、反強磁性材料がスピントロニクスメモリーや論理デバイスの興味深い構成要素となる可能性がある。
また、東北大学内の他部局との連携により充実を極めたワークショップもあった。AIMRの主任研究者でもある大野英男教授が所長を務める東北大学電気通信研究所(RIEC)は、2006年から毎年スピントロニクスに関する国際ワークショップを主催している。第13回RIECワークショップは、「知のフォーラム」の5番目のワークショップとして11月18~20日に開催された。スピン軌道トルク、トポロジカル絶縁体、ホイスラー合金の可能性、ベリー位相でビット情報を表現する方法、さらにはスピン素子による脳型の情報処理に至るまで、固体中のスピン現象の最前線とその応用が議論された。
さらに、スピントロニクスを具体的な専門技術開発に応用するということに焦点を当てたワークショップもあった。AIMRや東北大学のスピントロニクス研究者たちは、専門技術を駆使して1個のチップに数千個のトランジスターを搭載する研究も行っている。11月20~21日に開催された6番目のワークショップのテーマは、この超大規模集積(VLSI)であった。大野教授によると、チップの性能を高めながらトランジスターを小型化しようとすると、消費電力が増加し、信号伝達速度が低下するという。しかし、スピントロニクスを利用すれば、高い性能を維持しながらVLSIを低消費電力化できる可能性がある。
そして、最後のワープショップ(12月3〜4日)は、スピン、熱、電気、運動の相互作用に関するものであった。オーガナイザーを務めたIMR所長の高梨弘毅教授は、「現行の半導体ベースの電子機器は性能が限界に達しており、新しいパラダイムが必要です」と語る。「半導体と磁性材料を用いるスピントロニクスは、非常に有望なのです」。
こうして、実に様々な角度からスピントロニクス分野の可能性を追究した一連のワークショップは、大いなる活況を以て幕を閉じた。スピントロニクスの未来の輪郭は、第一線の研究者達によって少しずつ明確な線を現し始めているのだといえよう。