注目の技術
根底から見つめる
2011年04月25日
東北大学原子分子材料科学高等研究機構(WPI-AIMR)のバルク金属ガラス研究グループの研究者たちは、融合研究を通じて「原子」材料の構造・特性の理解に取り組んでいる。
バルク金属ガラス研究グループのグループリーダーであるMingwei Chen(陳明偉)主任研究者に、「あなたが取り組んでいる最もむずかしい問題は何ですか」と尋ねると、一瞬の迷いもなく即答が返ってきた。「バルク金属ガラスは原子スケールの材料です。個々の原子が材料の中でどのように配列しているのか、いまだによくわかっていません。その構造を原子レベルで理解することが、この研究で最も重要なテーマです」。
金属ガラスは1960年代前半に初めて報告された特殊な合金であり、材料産業に革命を起こすと言われている。従来の金属をつくるには、溶融した金属をゆっくり冷却することにより結晶構造を形成させるが、バルク金属ガラス(BMG)をつくるには、バルク試料を急激に冷やして、結晶を形成しないように固体化させる。こうして得られる金属は、「液体のように」無秩序な構造に固まっている。そのため、比較的低い温度でやわらかくなって流動しはじめ、従来の金属に比べて成型や加工がはるかに容易になる。同時に、BMG中の原子の配列は不規則で密に詰まっているため、多くの結晶金属に比べて密度や強度が高く、耐摩耗性や耐腐食性にすぐれている。
初期のBMGの臨界冷却速度(特徴的なアモルファス構造を形成するのに必要な冷却速度)は1秒に100万度のオーダーだった。より新しい系(その一部は、1980年代から90年代にかけてWPI-AIMRが所属する東北大学で発見された)の臨界冷却速度はもっと低いが、その背景にある理由は不明のままである。「私たちは、BMGが形成されるしくみなど、BMG研究の基礎となる問題にも取り組んでいます」と陳教授は言う。「例えば、一部の合金の臨界冷却速度が非常に低く、ガラス形成能が非常に高いのはなぜだろうというような問題です。これらはBMG研究の大問題です。私たちのグループは、その究明のために多くの時間を費やし、努力を重ねています」。
結晶でなくても変形する
もうひとつの重要なテーマは、BMGの塑性変形のしくみに関する問題である。BMGは通常、従来の結晶金属の数倍の強度があるが、室温では延性がなく、引き伸ばされると何の前ぶれもなく突然破損する傾向がある。そのため、構造の信頼性が問題視され、耐荷重性が求められるような用途に使うことができない。「結晶材料は転位(結晶格子中の線状の欠陥)の動きにより塑性変形します」と陳教授は説明する。「BMGはガラス質で、結晶構造をもっていないにもかかわらず、塑性変形がみられるのです」。
この現象を説明するため、陳教授とその共同研究者らは、せん断変形帯(shear transformation zone;STZ)の理論を利用し、これを発展させた。STZはナノサイズのポケットで、これが塑性変形を起こす結果、応力が蓄積して局所的なせん断帯が形成され、BMGの機械的破壊を引き起こす。研究チームは、WPI-AIMRで開発された「レートジャンプ・ナノインデンテーション(rate-jump nanoindentation)」という新しい手法を用いてさまざまなBMG系を検証し、STZに関与する原子クラスターの体積をBMGの延性と関連づけることができた。「従来の金属なら、顕微鏡で微細構造を観察することで試料のバルク特性に関する情報を得ることができました。これに対してBMGでは、原子スケールで構造を調べないと、材料のバルク機械特性を理解することができません。材料の構造を原子スケールで明確に理解することができれば、望ましい原子配列をもつBMGシステムを設計し、その機械特性を改良することができるのです」と同教授は語る。
極微の世界をみる
このレベルの極微の構造になると、兵庫県の理化学研究所・播磨研究所にある大型放射光施設SPring-8で、広域X線吸収微細構造分光法などの最先端の実験技術を用いて観察する必要がある。しかし、陳教授とその共同研究者らは、オングストローム電子線回折技術を開発して、本拠地の仙台でも研究できるようにした。これは、幅が約0.3ナノメートル(3オングストローム)しかないコヒーレントな電子ビームを用いて、BMG試料中の個々の原子クラスターの配列を観察する技術である。この実験は非常に高い精度を必要とするため、最新技術を駆使した特注の球面収差補正透過電子顕微鏡があってはじめて可能になった。この顕微鏡は、日本を代表する科学機器メーカーと共同で製作したもので、WPI-AIMRの研究者が設計したコンデンサー絞りが取り付けられており、WPI-AIMRの戦略的資金を使って購入された。これに匹敵する装置は日本国内に数台しかなく、WPI-AIMRの内外の研究者から注目されている。
陳教授は、BMGこそが自分の主な専門分野であり、この分野がWPI-AIMRの研究活動の柱のひとつになっていると話す一方、先端機能材料研究室の研究対象はBMGだけではなく、多岐にわたることを強調する。研究者らが取り組んでいるテーマは幅広く、高強度材料のためのナノ構造材料、ナノ複合体、ナノ結晶金属の研究のほか、金属コロイドの研究、STZなどの概念を裏づけるための理論研究やシミュレーションも含まれる。陳教授は、「WPI-AIMRでは広範な研究を行っていますが、BMG研究は常に主要なテーマでありつづけるでしょう。BMGが重要であるからというだけでなく、東北大学はこの分野で特別な貢献をしてきたからです」と言い、東北大学が40年以上にわたってBMG研究にかかわってきたことを強調した。
融合研究とグリーン・イノベーション
陳教授はWPI-AIMRの設立を提案し、その実現に尽力した委員会のメンバーである。名門として知られる上海交通大学(中国)の准教授として研究キャリアをスタートさせ、1997年から1999年にかけて東北大学金属材料研究所の客員研究員として日本に滞在した。その後、一時アメリカに渡ってジョンズ・ホプキンズ大学の研究准教授として研究に従事した後、2003年に仙台に戻り、東北大学材料科学国際フロンティアセンターで最初の外国人教授の1人となった。陳教授は、「私が日本に戻ってきた理由のひとつは、設備が非常に良いことでした。研究資金の供給が、アメリカなどに比べてはるかに安定していることも魅力でした」と話す。同教授はまた、研究室のチームワークがよく、大学院生が助教や准教授や教授と深くかかわり合えることも、WPI-AIMRなどの日本の研究所の長所のひとつであるという。
WPI-AIMRの構想段階から深く関与してきた人物としては当然のことかもしれないが、陳教授は、この研究所が主唱する融合研究の概念を熱心に支持している。陳教授と先端機能材料研究室の同僚による発見は、WPI-AIMRのほかの研究グループにすでに応用されている。例えば、電極触媒やスーパーキャパシターの開発に利用されているナノポーラス金属-イオン液体複合体や、ソフトマテリアル研究グループが化学合成に利用しているナノポーラス金触媒は、もともとは陳教授の研究室で開発されたものである。BMG研究から得られたほかの産物は、バーチャル網膜ディスプレイ、バーチャルキーボード、携帯電話用プロジェクターなどに応用されるマイクロミラーの材料として、デバイス/システム研究グループの微小電気機械システム(MEMS)研究者に利用されている。
陳教授は、これらの応用に加えて、グリーン・イノベーション分野の材料への機能的応用がますます重視され、融合研究がこれまで以上に重要になるだろうと予想している。「以前、私は伝統的な物理冶金学を専門にしていましたが、現在の研究領域は物理学、化学、電気化学から、エネルギー貯蔵デバイスやバイオセンサーまで、多岐にわたっています。私の研究チームのメンバーは皆、応用化学、応用物理学、機械学など、多様なバックグラウンドをもっています。融合研究は、WPI-AIMRの研究になくてはならないものです。考えてみれば、私たちはグループの中でも融合研究をしているのです」。