若手研究者インタビュー
融合研究が始動する
2010年03月29日
東北大学原子分子材料科学高等研究機構(WPI-AIMR)の自由闊達な研究環境は、若手研究者が異なる専門分野の共同研究パートナーを見つけることを促進し、画期的なプロジェクトを次々と誕生させている。
毎週金曜日の夕方、WPI-AIMRの真新しい研究棟のロビーには、数十人の学生や研究者が集まってくる。これは、特に若手研究者が心待ちにしているイベントだ。肩書きに関係なく、普段接することのない研究者とも自由に話ができる絶好の機会となるからだ。コーヒーやクッキーを楽しみながらの会話は、新しいアイディアを生み出し、ときにはそれがきっかけとなって共同研究が始まることもある。
この「ティータイム」と呼ばれる定期的な会合は、日本の研究所や大学ではまだ珍しい、形式ばらない試みであり、若手研究者を自由で刺激的な環境に置き、彼らの潜在能力を開花させようとするWPI-AIMRの取り組みの1つである。実際、WPI-AIMRの努力は、自発的で創造的な「融合研究(Fusion Research)」という形で早くも実を結びはじめている。融合研究とは、異なる分野間の相互作用と、異なる専門分野をもつ研究者間の協力を促し、その相乗効果により新しい材料科学研究を切り拓こうとすることである。2009年3月の第一回目の募集から今日までに、約120人の研究者が在籍するこの研究所で25以上の融合研究プロジェクトが承認され、研究資金を受けて始動している。その大半は、若手研究者が中心となって動いているものだ。
魅力的な研究環境
「融合研究は、私がWPI-AIMRに移ることを決めた主な理由の1つです」と、デバイス/システム研究グループで微小電気機械システム(MEMS)の研究を行っているYu-Ching Lin助教は言う。台湾出身のLin氏は東北大学工学研究科で博士号を取得し、同研究科の助手・助教を経て、ドイツのケムニッツにあるフラウンホーファーエレクトロ・ナノ・システム(ENAS)研究所に所属していた。しかし、応用と理論工学の両方に取り組んでいたLin氏は、研究を進めるにつれ「新規のMEMSデバイスを開発するために必要な基礎的な材料科学の知識が自分には足りない」と感じるようになったという。ちょうどその頃、フラウンホーファーENASの所長で、現在はWPI-AIMRの主任研究者も兼務しているLin氏の指導教官のThomas Gessner教授から、新設されたWPI-AIMRのポジションに応募することを勧められ、同氏はその機会に飛びついた。
Lin氏が2008年11月にWPI-AIMRにやって来たとき、知り合いはほとんどいなかった。転機が訪れたのはその4カ月後、WPI-AIMRが開いた1週間のワークショップに参加したときだ。多くの研究者との議論を重ねるうちに、Lin氏はバルク金属ガラス研究グループのリサーチアソシエイトであるNa Chen氏とDeng Pan氏、主任研究者のDmitri Louzguine教授という3人の意欲的な共同研究者を見つけることができた。彼らは2009年4月に融合研究のプロポーザルを提出し、金属ガラスを利用してMEMSデバイスを製造するためのプロジェクトに着手した。
金属ガラスのMEMSへの応用
MEMSデバイスは、1つの基板上に電気的・機械的な要素が実装された、マイクロメートルサイズのセンサーまたはアクチュエーターである。半導体製造技術から生まれた技術であり、開発においては材料、ファブリケイション、デバイス設計が重要視されてきている。歴史的に見ると、ポリマー、シリコンカーバイド(SiC)、圧電素子、カーボンナノチューブなどの革新的な材料が導入されるたびに、MEMSの新しい応用領域が切り拓かれてきた。Chen氏は、BMGの並はずれた強度と成形性を引き合いに出し、「これからは金属ガラスの時代だと思っています」と話す。
従来の材料を使ってMEMSデバイスを製作する場合には、主にリソグラフィーによりパターンを転写する。しかし、高い成形性と耐久性をもつ金属ガラスを用いると、リソグラフィーではなくモールディングによりこうした微小部品を製作できるようになるため、製作工程を大幅に簡素化することができる。MEMSの新しい製作法は強く求められているものの、技術者たちは金属ガラスをMEMS材料として用いることをほとんど考えてこなかった。Lin氏のチームは現在、金属ガラス用のMEMSに適合したマイクロ/ナノ製造法を開発して、モールディングした金属ガラスの構造体をMEMSデバイスに組み込む方法を調べている。
しかし、彼らの前には大きな技術的問題が立ちはだかっている。金属ガラスには残留応力があるほか、MEMSの主な基板材料であるシリコンや酸化ケイ素と接着しにくいのだ。研究チームはいくつもの金属ガラスをテストして、製作工程では圧力や温度などのパラメーターが非常に重要になることを明らかにした。「私たちは、これらのパラメーターを最適化すると同時に、適切な金属ガラス材料を選択することにより、この問題を解決できると信じています」とLin氏は話す。
Lin氏はこのプロジェクトとは別に、MEMSの集積化技術に用いる新接合材料として金属ガラスを利用できるかどうかを検証するために4人の主任研究者が立ち上げた融合研究プロジェクトにもかかわっている。「私のような若手研究者が、主任研究者レベルの融合研究プロジェクトの中心にいることができるのですから、本当に励みになります」とLin氏は言う。
WPI-AIMRを最大限に利用する
WPI-AIMRが掲げる理念は、一杉太郎氏のような第一線で活躍する若手日本人研究者をも引き付けている。ナノ物理研究グループの准教授に就任した際、理想的な実験室を作りたいと考えていた一杉氏を、研究所は全面的にサポートしたのだ。同氏が専門とする表面・界面物理学の研究では、走査トンネル顕微鏡(STM)が重要な役割を果たしているが、STMは雑音や振動に非常に敏感である。一杉氏は、こうした影響からSTMを保護するため、研究所の許可を得て実験室の床を壊して岩盤まで穴を掘り、80トンのコンクリートを流し込んで基礎を形成した。さらに、実験室は特殊な二重壁でシールドされている。一杉氏の説明によると、それぞれの壁の厚みは40cmだが、二重にすることで厚さ10メートルのコンクリートに匹敵する効果が得られるという。「私たちのSTM用実験室は国内では最高のもので、世界でも有数の水準にあります。最先端の装置があるだけでは意味がありません。実験室環境が非常に大事なのです」と同氏は言う。「私はWPI-AIMRから与えられた機会を最大限に利用したいと思っています」。
新しい概念のプロジェクトが誕生するきっかけとなるのは、毎週のティータイムだけではない。一杉氏によると、同僚との日々の交流から生まれるプロジェクトも多いという。その好例が、2009年のある日、同氏が阿尻雅文教授の研究室に立ち寄ったときのことだ。阿尻氏はナノ化学バイオ研究グループの主任研究者であり、新しいナノ構造合成技術の専門家である。話が盛り上がっていくうちに、融合研究ができそうなアイディアが出てきて、阿尻氏は自分の研究室の北條大介助教を一杉氏に紹介した。
一杉氏の研究テーマの中には、超伝導性などの興味深い物理的性質を示すナノスケールの酸化薄膜を作り出し、STMを使って電子構造や界面の機能を調べることがある。これに対して、阿尻研究室では、超臨界水場で、金属酸化物ナノ粒子を合成すると同時に、粒子表面に有機分子を結合させる研究を行っている。超臨界状態とは、気体の反応性やモビリティーを持ちつつ、液体のような密度を持つ状態のことを指す。通常、ナノ粒子は、その表面エネルギーの大きさのため、すぐにくっつき合ってしまい、ナノ粒子本来の特性を生かすことができない。しかしながら、この方法で合成したナノ粒子は、表面に結合した有機分子が持つ溶媒との高い親和性のため、溶媒中で一様に単分散する。つまり、溶媒中であたかも一つの分子のように振る舞うのだ。
北條氏は、この系を「固体表面を持った新しい分子系」とみなし、ナノ粒子を基板上に単層吸着させる研究を行っている。これは、いわゆる「自己組織化単分子膜」の概念をナノ粒子に応用させたものである。一杉氏と北條氏は、それぞれの「ドライ」と「ウェット」、あるいは「真空中」と「溶媒中」でのプロセスを組み合わせることで、「ウェット」なプロセスだけでは不可能な画期的なナノ粒子を作り出す方法を思いついた。溶媒中では平衡反応が支配することが多く、完全な選択性や異方性を持たせるのはその原理上難しい。これに対して、真空中では非平衡反応を比較的簡単に利用することができる。「これは実はかなり突飛なアイディアですが、ここでは融合研究を通して風変わりな研究を進めることができるのです」と北條氏は言う。「異方性ヘテロ界面を持つナノ粒子ができたら、ナノ粒子に新たな機能を付加させることで、半導体材料、太陽電池、触媒などに応用することができるでしょう」。
一杉氏は、デバイス/システム研究グループに所属するスピントロニクス(電子のスピンを利用したエレクトロニクス)の専門家である水上成美助教とも融合研究プロジェクトを進めている。彼らのアイディアも野心的で、従来のデバイスのように電子を制御する代わりに、イオンを制御することでデバイスの磁気的・電気的性質を変えることを目標としている。「私は、イオンがこんなに興味深い振る舞いをすることを知りませんでした。もし、イオンの移動を制御することで物質の磁性を制御できたり、逆に物質の磁性を制御することでイオンの移動を促進したりできれば、スピントロニクスデバイスや電池システムの研究の新しい展開が期待されます」と水上氏は言う。現時点では、電気自動車のリチウムイオン電池の再充電には約5時間かかる。しかし、例えば、リチウムイオンの拡散と磁気(スピン)との相互作用をうまく制御することができれば、磁場をかけてリチウムイオンを制御することで、再充電に必要な時間を大幅に短縮できるようになるかもしれない。
研究者としての見識を広げる
WPI-AIMRは、若手研究者の共同研究が自然に生まれるような環境を整えるだけでなく、海外の若く優秀な頭脳が集まるしくみを構築することにも尽力している。主な試みは、「Global Intellectual Incubation and Integration(GI3)」と呼ばれるプログラムだ。これは、海外の大学に所属しているWPI主任研究者が、所属大学の研究室の学生や若手研究者を数週間から数か月程度WPI-AIMRに派遣し、国内の研究者と共同研究を行えるようにつくられたプログラムである。
ドイツのケムニッツ工科大学の学生であるMarco Haubold氏は、卒業論文を仕上げるためにGI3プログラムに応募し、WPI-AIMRで5カ月を過ごした。Lin氏と同様、MEMS材料の理論的研究に従事していた同氏は、ここで実験を学ぶと同時に、学際研究の本質をつかむことを目標としていた。「ここに来て1カ月後、私は、理論と実践の両面から研究を進めていくのは非常に難しいのだということを思い知らされました」とHaubold氏は言う。「けれども、それこそが私が求めていた挑戦でした。今の私には、以前より高い力量が身についていると感じています」。さらに、「WPI-AIMRのすばらしい環境だけでなく、仙台が研究にも生活にも非常に快適な街だったことも私にとって幸運でした。是非また戻ってきたいと思います」と続ける。Haubold氏は2009年12月に帰国したが、同氏と入れ替わるように、同じくドイツからFrank Roscher氏という別の学生が来日し、材料研究者としての幅を広げるために試行錯誤する毎日を送っている。