イオン性炭化水素: 意外なスピン状態の発現
2017年07月31日
純粋な多環芳香族炭化水素のイオン性塩が2種類の温和な合成方法によって初めて得られた

© 2017 Kosmas Prassides
複数の芳香環を持つ炭化水素にアルカリ金属イオンを導入することは、高温超伝導体の作製方法として以前から有望視されてきたが、特性評価の問題から、これまで確認できずにいた。今回、東北大学材料科学高等研究所(AIMR)の研究者らは、国内外の共同研究者らと共に、こうしたイオン性多環芳香族炭化水素を合成する二つの相補的な手法を開発した。これにより、詳細な研究が初めて可能になったが、その結果は意外なものだった1,2。
AIMRのチームリーダーKosmas Prassides教授は、「アルカリ金属と多環芳香族炭化水素を一緒に高温で加熱したのだから、生成した黒色固体はイオン性塩である、というのがこれまでの見方でした。純粋相の材料を単離することができなかったので、化学量論組成や構造などを決定することはできず、特性も確認されていませんでした」と説明する。「これまでの高温合成方法では、多環芳香族炭化水素分子が分解してしまうため、複雑な混合物が生成していたのです」。
今回Prassides教授のチームが設計した二つのソフト化学的手法は、多環芳香族炭化水素の分解を回避することができる。第一の手法では、溶液中で低温還元することで、Cs(C14H10)とCs2(C14H10)という2種類のフェナントレンセシウム塩が生成する。第二の手法は、レドックス制御された還元剤を用いてK2ピセンとK2ペンタセンという2種類のカリウム–C22H14構造体を合成する固相合成法である。
研究チームは、これら4種類のイオン性多環芳香族炭化水素のすべてについて結晶構造を得た。「イオン性多環芳香族炭化水素の結晶構造を実験で決定した例は、これまで一つも報告されていませんでした」とPrassides教授。
イオン性多環芳香族炭化水素の特性評価も行ったが、意外なことに、いずれも超伝導体ではなかった。
さらに意外だったのは、Cs(C14H10)が量子スピン液体(図参照)の候補物質だったことである。量子スピン液体は40年以上前に提唱された物質状態であるが、これまで実験で実現した例はほとんどなかった。Prassides教授は、「量子スピン液体のスピンは秩序を持たず、絶対零度でも高速でゆらぎ続けます」と説明する。「それぞれのスピンが同時に無数の方向を向き、他のスピンと高度にからみあっています。ですから、量子スピン液体では、基礎科学的にも技術的にも多くの興味深いエキゾチック現象が起こると予測されています」。考えられる応用としては、量子コンピューター用のデータ記憶などがある。
Prassides教授は、「Cs(C14H10)は磁気的にフラストレートした複雑なトポロジーを持っており、量子スピン液体の候補となる珍しい例です。炭素のπ電子に起因する例としては初めてのものです」と言う。
多環芳香族炭化水素には膨大な数があるので、Prassides教授は、今回の合成手法を用いて組成的、構造的、電子的に多様な材料が得られるだろうと期待している。「現在、ほかの材料も合成し、絶対零度に近い温度で伝導特性や磁気的特性を調べています」。
References
- Takabayashi, Y., Menelaou, M., Tamura, H., Takemori, N., Koretsune, T., Štefančič, A., Klupp, G., Buurma, A. J. C., Nomura, Y., Arita, R. et al. π-electron S=½ quantum-spin-liquid state in an ionic polyaromatic hydrocarbon. Nature Chemistry 9, 635–643 (2017). | article
- Romero, F. D., Pitcher, M. J., Hiley, C. I., Whitehead, G. F. S., Kar, S., Ganin, A. Y., Antypov, D., Collins, C., Dyer, M. S., Klupp, G. et al. Redox-controlled potassium intercalation into two polyaromatic hydrocarbon solids. Nature Chemistry 9, 644–652 (2017). | article
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