ピンと張られた分子鎖を定量する「羽ばたき型蛍光Force Probe」の開発

2022年01月14日

京都大学
東北大学

ピンと張られた分子鎖を定量する「羽ばたき型蛍光Force Probe」の開発

―高分子材料の中で力のかかった分子鎖の比率を蛍光イメージングで計測する―

概要

京都大学大学院理学研究科の齊藤尚平准教授・小谷亮太博士(現・東レ株式会社)、東北大学材料科学高等研究所・藪浩准教授(ジュニアPI・東北大学ディスティングイッシュトリサーチャー)らの研究グループは、約100 pN(ピコニュートン)注1)という微小な力に応答して蛍光色を変化させる分子として、羽ばたき型の蛍光Force Probe注2)を開発しました。これは、亀裂などの破壊が起こる前に、高分子材料の中でどのくらいの比率の分子鎖がピンと張られているかを知る上で最適な新しいタイプの蛍光Force Probeです。

一般に高分子材料が変形して特定の分子鎖に無理な力がかかると、ついには化学結合が切れてしまい、材料の破壊が進みます。しかし、そうなる前のタイミングでは、およそ100 pNの力が分子鎖にかかってピンと張られます。本研究グループは、剛直な2つの翼を柔軟な関節でつなぎ合わせた独自の「羽ばたく蛍光分子」FLAP注3)が、この領域(理論値で約100 pN)の力に可逆応答する蛍光Force Probeとして機能することを見出しました。FLAPを分子鎖に導入しておくことで、ピンと張られた分子鎖の比率に応じて局所の蛍光スペクトルが変化します。また、実際に高分子材料の延伸実験に運用した結果、分子鎖に伝わる力の偏りに関して新しい高分子物理学の知見が得られました。このような分子レベルの情報は、蛍光スペクトルの形に反映されるため、顕微鏡技術と組み合わせれば、動画撮影による時間的変化や空間分布の計測もできます。

今後は、1) 高分子力学におけるさらなる分子描像の解明を進めるとともに、2) 生体材料への応用によるライフサイエンス研究における使用や、3) 流体の内部や流路の壁面にかかる力を定量する技術へ展開できます。

本研究成果は2022年1月13日に国際学術誌「Nature Communications」にオンライン掲載されました。

1.背景

材料にかかる応力や歪みを巨視的に可視化する方法は、偏光高速度カメラ、X線残留応力解析、計算機シミュレーションなどが既に確立されており、材料の破壊予測や安全性の診断に重要です。一方、破壊しづらい高分子材料を開発するには、「破壊の起点となる分子レベルの力の偏りが、どのような化学構造部位で起こるのか」(ナノ応力集中)を理解しなければなりません。光ピンセット、原子間力顕微鏡(AFM)などの装置を用いれば、孤立した1本の分子鎖にかかる微弱な力を直接解析できます。しかし、複雑に絡まったありのままの高分子鎖ネットワークに伝わる力の分析は困難です(下図a)。他の分析法でも、間接的議論にならざるを得ません。そこで近年、蛍光Force Probeを使う方法が期待されています。すなわち、微弱な力に応答して蛍光シグナルを変化させる分子を材料中に組み込むことで、複雑な物質の内部における力の伝達を解析できます。

そのような蛍光Force Probeの分子設計は、これまで以下の2つが知られていました。ひとつは、メカノバイオロジー分野で広く用いられているFRET型注4)の分子システムで、これらは細胞中で働く数pN〜50 pNの力を解析できます(下図b左)。これは室温における分子の熱揺らぎに匹敵するほど微弱な力の領域です。もうひとつは、メカノケミストリー分野で普及しているメカノフォアと呼ばれる分子システムで、化学結合の切断を伴う200 pN〜数nNの力に応答します(下図b右)。これらに対し、柔らかい高分子材料が、破壊を伴わない可逆変形をする際には、上記2例の中間にあたる力の領域(100 pN前後)で分子鎖がピンと張られます。そのため、そのような分子レベルの力の偏りを定量解析できる新しい蛍光Force Probe(下図b中央;本研究)の開発が高分子物理(レオロジー)の分野で求められていました。


図:(a)有機物質の階層的な化学構造(軸の上)と、物質に働く力を物理的に計測する手法(軸の下)。 (b)各種Force Probeが応答する力の領域。灰色枠は、室温の熱揺らぎ現象に埋もれる微小な力の範囲を示す。

2.研究手法・成果

今回、独自に開発した羽ばたく分子であるFLAPが、破壊前の高分子力学の知見を得る上で最適な新しいタイプの蛍光Force Probeであることを示しました。本研究のポイントは以下の4点です。

1) FLAPは単一の分子骨格でありながら、力に依存する二重発光性を示す。

約100 pN(理論値)を力の閾値として、分子の両端にかかる張力がその閾値よりも低い状態ではV字型構造から青色の蛍光を発し、より高い張力がかかった状態では平面型構造に引っ張られて緑色の蛍光を示します。このように柔軟な分子構造で2種類の発光状態を可逆変換できる二重発光性分子は数多く知られていますが、Force Probeとしての機能が示された分子は存在しませんでした。この二重発光性のおかげで、高分子の変形によって蛍光Probeの局所濃度が変化しても定量的な解析が可能になります(蛍光レシオメトリック解析)。

2) FLAPは超微小量の添加で機能するため、本来の高分子の力学特性は維持したまま力学解析できる。

一般に蛍光Probeは、そのままでは目に見えない現象を可視化するために使われます。しかし、蛍光Probeを観察対象に加えることで、本来見たい現象が大きく変わってしまっては、蛍光Probeとしては使えません。FLAPはV字型構造においても平面型構造においても強く発光するため、超微小量を分子鎖に組み込むだけで、解析に十分な蛍光情報が得られます。これにより、本体の材料のかたさや応力-ひずみ特性を保ちながら、Force Probeとして使うことができます。下図にはポリウレタンという高分子材料にFLAPを導入した例を示しました。

3) 蛍光イメージング画像から、1ピクセル毎に「ピンと張られた分子鎖の比率」の情報が得られる。

高分子材料に添加するFLAP分子は極めて低濃度ですが、分子は非常に小さいので、蛍光写真の1ピクセルの中にもV字型でリラックスしており青色に光る分子と、平面型でピンと張られて緑色に光る分子が複数存在します。これらの分子の比が異なる波長の蛍光強度としてスペクトル情報に反映されますので、1ピクセル毎にスペクトルを取得できる最先端のカメラを使えば、ナノ応力集中の情報をイメージングできます。また、FLAPは迅速かつ可逆に蛍光応答しますので、リアルタイムでナノ応力集中の空間分布を動画撮影できます。

4) FLAPを活用することで、高分子物理学(レオロジー)の観点からも新しい知見が得られる。

高分子が変形する際に、内部の絡まった分子鎖ネットワークにどのように力が伝わっているのかを精密に解明することは高分子物理学のゴールのひとつですが、これを達成するのは容易ではありません。計算機を使うと、分子動力学シミュレーションによりナノ応力集中の情報を得ることができますが、実験的に直接解析することは困難でした。本研究では、FLAPの化学合成を工夫することで、分子鎖そのものに導入されるFLAPと、分子鎖どうしを架橋する部分(架橋点)に導入されるFLAPの2種類の蛍光Force Probeを用意できます。それらを全く同じ条件で微量添加した2種類の高分子材料は、延伸実験に対する力学物性は同じであるにもかかわらず、変形時の蛍光スペクトル変化の度合いは顕著に異なることがわかりました。詳細な解析の結果、「変形に伴って顕著に応力が上昇するひずみ硬化領域では、分子鎖そのものよりも架橋点の方が、ナノ応力集中の度合いがおよそ2倍に偏る」という、新しい高分子物理学(レオロジー)の知見が得られました。

3.波及効果、今後の予定

近年、高分子を強靭化するためのユニークなナノ構造設計を活かした新材料が数多く報告されていますが、FLAPのような蛍光Force Probeは、それらの材料の強靭化メカニズムを、分子レベルの直接観察により精密に解明するのに役立ちます。高分子ゲルのように溶媒が存在する環境でもForce Probe機能を示す、新しいFLAPの開発にも着手しています(「参考文献」参照)。

また、今回はポリカーボネートとポリウレタンという高分子材料を用いましたが、直近の研究では、生体との親和性が高く微細加工技術にも使えるPDMSと呼ばれる高分子にFLAPを導入することで、微弱な圧力に応答して蛍光スペクトルを可逆変化させる材料を開発しています。PDMSはどんな形にも加工できマイクロ流路の作成にも広く使われているため、ライフサイエンス分野での活躍を期待しています。

さらに、水に溶ける高分子にFLAPを導入して溶液とすることで流体内部における伸長応力をイメージングしたり、流路の壁面にFLAPを結合させることで壁面にかかる力の分布を可視化したりするといった展開も考えられます。

すでに我々の研究室では、高分子の動力学シミュレーションを専門とする理論計算科学者、顕微鏡イメージングを専門とする植物研究者、流体力学を専門とする機械工学研究者との共同研究をそれぞれ進めています。

4.研究プロジェクトについて

本成果は、京都大学大学院理学研究科 齊藤尚平 准教授、小谷亮太 博士(現・東レ株式会社)、横山創一 博士(現・大阪大学産業科学研究所 助教)、信末俊平 博士(現・京都大学エネルギー理工学研究所 助教)の研究グループと、東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR) 藪浩 ジュニア主任研究者との共同研究において得られました。また、JST 戦略的創造研究推進事業のさきがけ研究領域「光の極限制御・積極利用と新分野開拓」における齊藤研究者の研究課題「局所応力イメージング技術の限界を突破する「光分子力学」の開拓」、および齊藤研究者によるJSPS 科学研究費助成事業 基盤研究(B)「分子の羽ばたきを鍵とした超低閾値の局所粘度・局所応力イメージング」、井上科学振興財団 井上リサーチアウォードの研究課題「革新的な応力応答分子プローブの開発と『光分子力学』の構築」の一環として行われました。

用語解説
注1)pN(ピコニュートン)
力の単位であり、1 N(ニュートン)の1兆分の1に相当する。原子間力顕微鏡(AFM)の研究から、通常の共有結合が1本切断されるのに必要な力は数nN(= 数千pN)オーダーであり、特に切れやすい共有結合でも200 pNの力が必要であることがわかっている。
注2)蛍光Force Probe
力に応答して蛍光シグナルを変化させる物質。一般に、目に見えない観察対象や現象を可視化するために、蛍光Probeを対象に添加する。蛍光Force Probeを用いると、観察対象の化学構造にかかる力を可視化することができる。
注3)FLAP
京都大学の齊藤尚平研究者のグループが独自に開発した羽ばたく分子系の総称で、Flexible and Aromatic Photofunctional systemsを略したもの。これまでに、紫外光で剥がせる接着材料や、不均一物質のサラサラ度の分布を可視化する蛍光粘度プローブなどへの応用が提案されている。
注4)FRET
蛍光共鳴エネルギー移動のこと。2つの色素分子を結合で繋げると、分子間の距離や向きに応じて蛍光特性が変わることを利用して、FRET型のForce Probeを作ることができる。

研究者のコメント

FLAPの分子骨格を設計した当初、駆け出しの助教だった私の知識と経験は圧倒的に不足していました。最初にFLAPのForce Probeらしき機能が確認できた後も、正しいデータを取得できる適切な実験装置を組んだり、実験結果を科学的なストーリーの中で正しく位置付けたりするために、とても苦労しました。そこで、様々な学会において未完のデータを発表し、異分野の専門家からフィードバックをもらいつつ、学生やポスドクと粘り強く本研究を遂行しました。かれこれ論文採択まで8年くらいかかりました。その途上で、分子化学だけでなく、励起状態の光化学、高分子の重合や精製、材料の力学物性や粘弾性、顕微鏡イメージングなど、本当にたくさんのことを学ぶことができ、自然と人の輪も広がりました。ただ、途方もない時間と労力がかかったので、私を含むほぼ全員の共著者が途中で所属を異動しました。研究プロジェクト期間も終了し、多くの方々に心配されましたが、学内業務と学会業務の合間を縫ってなんとか論文を書き上げ、最後は、激しい審査員とのやりとりの末にようやく論文が採択されました。共著者や、各種測定装置でサポートいただいた方々、長いこと応援してくださった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。今後は、有機化学を武器とした異分野融合研究をライフワークにしながら、視野の広い次世代の科学技術人材を育てていきたいです。(齊藤)

論文情報

タイトル: Bridging pico-to-nanonewtons with a ratiometric force probe for monitoring nanoscale polymer physics before damage
日本語訳: ピコニュートンとナノニュートンの力の世界を橋かけする蛍光レシオ型フォースプローブを用いて破壊が起こる前の高分子物理を追跡する
著者: Ryota Kotani, Soichi Yokoyama, Shunpei Nobusue, Shigehiro Yamaguchi, Atsuhiro Osuka, Hiroshi Yabu*, Shohei Saito*
掲載誌: Nature Communications
DOI番号: 10.1038/s41467-022-27972-y新しいタブで開きます

参考文献

  • 溶媒が共存する環境でもForce Probe機能を示す新しいFLAP蛍光分子の開発と高分子ゲルへの応用
    “Ratiometric Flapping Force Probe That Works in Polymer Gels”
    Journal of American Chemical Society, 2022, 掲載決定.
    (プレプリントで発表済:10.26434/chemrxiv-2021-g0k1t新しいタブで開きます
    Takuya Yamakado and Shohei Saito*

問い合わせ先

研究に関すること

齊藤尚平(さいとう しょうへい)
京都大学大学院理学研究科(化学専攻)准教授

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E-mail: saito.shohei.4c@kyoto-u.ac.jp

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