熱や光などの刺激に強い原子層モット絶縁体の発見
熱や光などの刺激に強い原子層モット絶縁体の発見
室温で動作するモット電子デバイスの実現に道
発表のポイント
- 原子数個の厚さしか持たないTaSe2とNbSe2の原子層薄膜を作製し、その電子状態の観測に成功
- 原子層TaSe2とNbSe2が熱・電子注入・光に対して強いモット絶縁体であることを発見
- 原子層物質における高温超伝導などの物性開拓やモット絶縁体を活用した室温で動作する電子デバイスの実現に道
概要
「モット絶縁体」注1は、普通の絶縁体とは異なり、電子同士が避け合うことで絶縁化し、その近傍で超伝導注2などの多彩な物性が現れることから、古くから盛んに研究されてきました。その一方で、厚さを極限まで薄くして2次元にしたときに室温でモット絶縁体となる原子層物質は発見されておらず、その性質も未解明でした。東北大学材料科学高等研究所(AIMR)の佐藤宇史教授、大学院理学研究科の菅原克明准教授、AIMRの岡博文助教、福村知昭教授、台湾の国家同歩輻射研究中心(NSRRC)および中国清華大学の国際共同研究グループは、分子線エピタキシー法注3を用いて2セレン化タンタル(TaSe2)および2セレン化ニオブ(NbSe2)原子層薄膜を作製し、その電子構造をマイクロARPES(角度分解光電子分光)注4やSTM(走査トンネル顕微鏡)注5などによって調べました。その結果、モット絶縁体状態が様々な外的刺激(熱・光照射・キャリア注入)を受けても極めて強固に保たれていることを明らかにしました。今回の成果は、グラフェンを超える新たな原子層薄膜の物質開拓やそのデバイス化に大きく貢献するものです。
本研究成果は、ネイチャー系英国科学誌Nature Communicationsの2021年10月7日号で公開されました。
詳細な説明
研究の背景
近年、物質を極限まで薄くして原子層物質注6にすることで現れる新機能の発現とその機構解明に関する研究が精力的に進められています。そのような原子層物質のなかでも特に注目を集めているのが、遷移金属原子Mとカルコゲン原子X (X = S, Se, Te) が積層した構造を持つ遷移金属ダイカルコゲナイド(MX2)です(図1a)。MX2は「ポストグラフェン」とも呼ばれ、グラファイトを一層まで薄くしたグラフェンと似たような構造を持つものの、グラフェン以上に多彩な物性を示すことから、グラフェンの次の世代の原子層物質としても有望視されています。数年前に、東北大学の研究グループは、分子線エピタキシー法によって、MX2の一種である、タンタル(Ta)またはニオブ(Nb)がセレン(Se)と結合して層状に積み重なった原子層TaSe2と原子層NbSe2の作製に初めて成功しました。さらに、これらの物質が、複数のTa/Nb原子が集まってできる「ダビデの星」構造(図1b)と呼ばれる電荷秩序状態注7をきっかけにしてエネルギーギャップ注8が生じたモット絶縁体であることを明らかにしました。これにより、これまで2硫化タンタル(TaS2)などのバルク(3次元)物質で報告されてきたモット絶縁体相が、2次元でも実現できることが示されました。一方、バルクTaS2のモット絶縁体相は熱や光などの外的刺激によって壊れて容易に金属化してしまうことが知られており、モット絶縁体を活用した室温で動作する電子デバイスの開発に向けての障害となっていました。
研究の内容
今回、東北大学、NSRRC、中国清華大学の国際共同研究グループは、原子層TaSe2および原子層NbSe2の電子構造注9を、放射光からの紫外光のスポットサイズを10 μm程度に絞って精密観測できるマイクロARPES(図2a)、時間分解ARPES注10、STM(図2b)などの複数の先端電子分光法を駆使して精密に観測しました。その結果、ダビデの星を伴うこれらの物質の絶縁体状態(図3a)が、少なくとも180℃という高温まで持続することを突き止めました(図3b)。また、高輝度レーザーによって光刺激を与えたり、表面へのアルカリ金属吸着によって電子キャリアを注入したりしても、この絶縁体状態が保持されることを見出しました。このことから、バルク物質とは異なり、原子層のTaSe2やNbSe2では、外からの刺激に対して極めて強固なモット絶縁体状態が実現していると結論しました。研究グループはさらに、モット絶縁体状態を強固に保つためには、ダビデの星を形成する異なる層間の電子の飛び移りを抑制するのが重要であることを明らかにしました(図4)。
今後の展望
本研究は、原子層にまで薄くすることで、いくつかのMX2物質を強固なモット絶縁体にできることを明確に示したものです。モット絶縁体は、高温超伝導や量子スピン液体などといった様々な量子物性が創発する舞台として注目を集めています。そのため、今回の研究をさらに発展させることで、原子層高温超伝導などの物性の創発が期待できるだけでなく、室温においても高速でON/OFF動作ができる原子層モットトランジスタなどの次世代電子デバイス材料の開発にも弾みがつくと期待されます。また、本研究において原子層物質に適用したマイクロARPESを、その他の量子物質にも適用することで、トポロジカル物質における局所電子状態解明などの研究も進展すると期待されます。
本成果は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業さきがけ「原子・分子の自在配列と特性機能」(研究総括:西原寛)における研究課題「MBE・原子置換・パターニングを融合した新原子層材料の創製」(研究代表者:菅原克明)、JST戦略的創造研究推進事業CREST「トポロジカル材料科学に基づく革新的機能を有する材料・デバイスの創出」研究領域(研究総括:上田正仁)における研究課題「ナノスピンARPESによるハイブリッドトポロジカル材料創製」(研究代表者:佐藤宇史)、日本学術振興会科学研究費助成金、東北大学-清華大学共同研究ファンド(研究代表者: 佐藤宇史)などの支援を受けて行われました。
論文情報
雑誌名: | Nature Communications |
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論文タイトル: | Robust charge-density wave strengthened by electron correlations in monolayer 1T-TaSe2 and 1T-NbSe2 |
著者: | Yuki Nakata, Katsuaki Sugawara, Ashish Chainani, Hirofumi Oka, Changhua Bao, Shaohua Zhou, Pei-Yu Chuang, Cheng-Maw Cheng, Tappei Kawakami, Yasuaki Saruta, Tomoteru Fukumura, Shuyun Zhou, Takashi Takahashi, and Takafumi Sato |
DOI番号: | 10.1038/s41467-021-26105-1 |
用語解説
- 注1 モット絶縁体
- 電子間に働く斥力相互作用によって、電子が原子の周りに局在して絶縁体となったものです。
- 注2 超伝導
- 温度を下げることで電気抵抗がゼロになる現象。超伝導状態ではジュール熱によるロス無しに電流を運ぶことができます。
- 注3 分子線エピタキシー法
- 超高真空槽内に設置したいくつかの蒸着源を用いて材料を加熱などより蒸発させ、対向した基板上に薄膜を堆積させる手法です。膜厚を原子レベルで制御した高品質の単結晶薄膜が作製できます。半導体などのデバイス開発に必須な薄膜作製法の一つです。
- 注4 ARPES(角度分解光電子分光)
- 物質の表面に紫外線やX線を照射すると、表面から電子が放出されます(外部光電効果)。放出された電子は光電子と呼ばれ、そのエネルギーや運動量を測定することで、物質中の電子状態が分かります。光電効果は、1905年に、アインシュタインの光量子仮説によって理論的に説明されました。
- 注5 STM(走査トンネル顕微鏡)
- 先が非常に鋭い探針(プローブ)を試料表面に接近させ、プローブと試料表面間に電圧をかけるとトンネル電流が流れます。この微弱なトンネル電流の空間分布を観測することで、表面構造や局所電子状態が分かる実験手法です。
- 注6 原子層物質
- 原子数個程度(1 nm以下)の厚さしか持たない2次元シート状物質の総称。原子層物質で最も有名なものは、炭素が2次元の蜂の巣状に並んだグラフェンです。グラフェンの様々な機能性を活用した応用研究が世界中で精力的に進められています。最近では、グラフェンを超える性質を持つ原子層物質の探索も盛んに行われています。
- 注7 電荷秩序状態
- 電子の電荷が、結晶が本来持つ周期性とは異なる周期性で規則的に分布する現象です。低次元物質に多く見られ、電荷秩序が起こるかどうかは物質の結晶構造や次元性に密接に関係しています。
- 注8 エネルギーギャップ
- 電子が占有する最高のエネルギー準位と、電子が非占有となる最低のエネルギー準位の間のエネルギー差のことで、電子の存在が許されない領域です。半導体を電子デバイスとして利用する際に重要となります。
- 注9 電子構造
- 固体中の電子は、ある運動量(質量と速度の積)とエネルギーを持つことが知られています。固体中における電子の運動量とエネルギーの関係で描き出された構造を、電子エネルギーバンド構造、または単にバンド構造と呼びます。バンド構造は物質の結晶構造や構成元素によって様々に変化し、電気伝導や磁性などの物質固有の性質を決定します。
- 注10 時間分解ARPES
- 材料の表面にパルスレーザー光を照射してARPESを行う際、時間差を与えながら別のパルスレーザー光を照射することで、電子状態の時間変化に関する情報を得る実験手法です。
説明図
図1: (a) MX2の結晶構造の例。(b) 単層TaSe2やNbSe2で形成される「ダビデの星」の模式図。12個のTa/Nb原子が、あたかもダビデの星のように、特定のTa/Nb原子を中心に歪んで整列します。
図2: (a) マイクロARPESの概念図。高輝度紫外線やX線を物質表面に照射することで放出された光電子のエネルギーと運動量を精密に測定し、物質の電子構造を決定できます。さらに光のスポットサイズをミクロン単位まで小さくすることで、原子層物質などにおける局所電子構造が決定できます。(b) STMの概念図。探針と試料間に発生する微弱なトンネル電流を測定することで、表面構造や局所電子状態が観測できます。
図3: (a) 原子層TaSe2のSTM像。(b) 単層TaSe2における光電子強度の温度依存性。温度を変えてもエネルギーギャップが変化せず、絶縁体的性質が保たれます。
図4: ダビデの星を形成する(左)多層膜(バルク)および(右)単層膜における電子の飛び移りに関する概念図。多層膜では、熱や光によってダビデの星を形成する原子層の間を電子が飛び移りやすくなって金属になってしまうのに対して、単層膜では電子の飛び移りができずに層内に電子が局在するため、絶縁体的性質が強固に保たれます。
問い合わせ先
研究に関すること
東北大学材料科学高等研究所
教授 佐藤 宇史 (さとう たかふみ)
Tel: | 022-217-6169 |
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E-mail: | t-sato@arpes.phys.tohoku.ac.jp |
東北大学大学院理学研究科物理学専攻
准教授 菅原 克明 (すがわら かつあき)
Tel: | 022-217-6169 |
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E-mail: | k.sugawara@arpes.phys.tohoku.ac.jp |
JST事業に関すること
科学技術振興機構戦略研究推進部
グリーンイノベーショングループ
嶋林 ゆう子 (しまばやし ゆうこ)
Tel: | 03-3512-3526 |
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E-mail: | presto@jst.go.jp |
報道に関すること
東北大学材料科学高等研究所(WPI-AIMR)
広報戦略室
Tel: | 022-217-6146 |
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E-mail: | aimr-outreach@grp.tohoku.ac.jp |
科学技術振興機構広報課
Tel: | 03-5214-8404 |
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E-mail: | jstkoho@jst.go.jp |