ガラス形成の謎に迫る

2021年06月23日

東北大学金属材料研究所
東北大学材料科学高等研究所

ガラス形成の謎に迫る

金属ガラスのハイエントロピー化に伴う2つのガラス遷移温度のデカップリング現象を観測

研究成果のポイント

  • ハイエントロピー化を意図的に促進した金属ガラスにおいて、熱量変化と粘性変化でそれぞれ測定される2つのガラス遷移温度の密接な対応関係が崩壊する「デカップリング現象」を確認しました。
  • この研究成果は、ガラス遷移現象の根本的な解明に大きなヒントを与えるものです。

概要

固体物理・材料科学における未解決問題として知られるガラス遷移現象は、急冷中の過冷却液体が熱力学的に安定な結晶固体へ凝固せず、長範囲規則性を持たないガラス固体に凍結する現象であり、その根本的な理解に向けて世界中で研究が進められています。金属ガラスは、高強度、高靭性、優れた軟磁性などで知られる一方で、構成原子が異方性の少ない金属結合によって、ほぼ無秩序に凝集した簡単な構造モデルで表されるため、ガラス遷移に関する基礎研究の対象材料としても大いに注目されています。

東北大学金属材料研究所のジャン・ジン特任助教と加藤秀実教授らの研究グループは、米国ジョンズ・ホプキンス大学の陳明偉教授(東北大学材料科学高等研究所・主任研究者を兼任)らのグループと共同で、金属ガラスのハイエントロピー化を意図的に促進すると、比熱(熱力学)と粘性率(動力学)の変化から検出される2つのガラス遷移温度の間に存在する密接な対応関係が崩壊する“デカップリング現象”が生じることを初めて明らかにしました。これまでの常識に収まらない今回の実験結果は、ガラス遷移現象の根本的な理解に向けて重要なヒントを与えると考えられます。

この研究成果は、英国科学雑誌「Nature Communications」に英国時間6月22日に掲載されました。

詳細な説明

研究背景

人類は異種金属を混ぜ合わせて合金化することによって優れた材料を見出し生活に役立ててきました。この合金開発の長い歴史において、2004年にハイエントロピー合金(High Entropy Alloy:HEA)という画期的な新概念が提唱されました。これは5種類以上の元素を等モル比かその近傍組成で混ぜ合わせることによって配置エントロピー(※1)を意図的に高め、本来、高温域で形成する性能に優れた固溶体相などを、室温近傍まで安定化して手に入れるとした熱力学的戦略に基づいています。この新概念によって、低温で非常に強度が高く、しかも、同様に靭性も高いCantor合金(CrMnFeCoNi)や、逆に、高温域においても強度が低下し難いSenkov合金(VNbMoTaW)等、数々の優れたHEAが見出されています。当初、この概念は面心立方格子(FCC)、体心立方格子(BCC)や六方最密充填格子(HCP)などの結晶系の合金開発に用いられましたが、近年、非結晶系の金属、すなわち、金属ガラスに適用する研究も進められています。配置エントロピーの増大は、固体のみならず液体(過冷却液体)をより低い温度域まで安定化し得るため、多成分化はガラス形成にとっても有利であるとともに、得られるハイエントロピー金属ガラス(High Entropy Metallic Glass: HE-MG)には、従来の金属ガラスにない新たな性質が見出される可能性があります。

ガラス遷移は、ガラス形成の本質であり、ガラス材料に特有の性質です。ガラス遷移の物理と得られるガラス固体の性質を正しく理解することは困難であり、自然科学における重大未解決課題の一つと位置付けられています。急冷過程は“一瞬”であるため、ガラス遷移温度の検出は容易ではないことから、昇温過程において金属ガラス固体が過冷却液体に遷移する際に、比熱のジャンプが生じる温度を熱力学的ガラス遷移温度Tg(※2)、また、粘性率が減少して約1012 Pa sに緩和する温度を動力学的ガラス遷移温度Tα(※3)とそれぞれ定義してきました。測定方法は異なるものの、いずれもガラス固体が過冷却液体に遷移した際に生じる物性の変化を検出しており、複数の金属ガラスでガラス遷移温度を比較する場合、他と比べてTgの高い金属ガラスはTαも同様に高いため、これらは密接に関連(カップリング)していると考えられてきました。

成果の内容

本研究では、典型的金属ガラスとして知られるLa55Ni20Al25 MG(以降、組成はモル%で表記)とCe55Ni20Al25 MGを等モル比で合金化して急冷することによってLa27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGを作製しました。同様に、Zr50Cu20Ni20Al10とTi50Cu20Ni20Al10をベースにしてTi25Zr25Cu20Ni20Al10 HE-MGを、更には、Pd42.5Cu30Ni7.5P20とPt57.5Cu14.7Ni5.3P22.5をベースとしてPd20Pt20Cu20Ni20P20 HE-MGをそれぞれ作製しました。

図1aは、La55Ni20Al25 MGとCe55Ni20Al25 MGおよびLa27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGを20 K/minで昇温して得られる示差走査熱量(DSC)分析曲線を示しています。それぞれの熱力学的ガラス遷移温度Tgが477、469および464 Kであることから、La27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGのTgは、合金化する前のLa55Ni20Al25 MGとCe55Ni20Al25 MGのTgの間に位置することが分かります。図1bは、これら3種類の金属ガラスに1 Hzの強制振動を付与しながら20 K/minで昇温して得られた損失弾性率曲線を示しています。それぞれの曲線において最も損失弾性率が高いピーク温度が、ガラス固体から過冷却液体に遷移し、粘性率が約1012 Pa sに減少したことを示す動力学的ガラス遷移温度Tαに対応しています。La27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGのTαは、合金化する前のLa55Ni20Al25 MGとCe55Ni20Al25 MGのそれぞれのTαよりも高い温度であることが分かります。

図1b内の挿入図にまとめたように、比熱変化から検出したガラス遷移温度Tgの大小関係は、Ce55Ni20Al25 MG<La27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MG<La55Ni20Al25 MGの順番であり、粘性率変化から検出されるガラス遷移温度Tαにも同様の大小関係が予想されますが、実際には、Ce55Ni20Al25 MG<La55Ni20Al25 MG<La27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGとなって、ハイエントロピー化したLa27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGのTαのみが高温域にシフトするデカップリングが確認されました。このようなデカップリングは、Zr50Cu20Ni20Al10とTi50Cu20Ni20Al10と、これらを基に作製したTi25Zr25Cu20Ni20Al10 HE-MGの間にも、Pd42.5Cu30Ni7.5P20とPt57.5Cu14.7Ni5.3P22.5と、これらを基に作製したPd20Pt20Cu20Ni20P20 HE-MGの間にも同様に生じることを実験的に明らかにしました。

当モル分率組成近傍のハイエントロピー金属ガラスには、比較的に均質性が高く細やかなドメイン構造が発達していることが組織観察によって判明しました。これは、高い配置エントロピーによって熱力学的安定性を増した過冷却液体において、動的不均質性が低減され、そのままガラス固体に凍結したことに起因すると考えられます。平均約2 nmの領域サイズは、せん断誘起変態領域(Shear Transformation Zone: STZ)として働き、粘性流動(α緩和)の素過程となる局所緩和(β緩和)を引き起こすと考えられます。温度上昇に伴ってこのSTZの数密度と大きさが増大して臨界状態に達し、複数のSTZ同士が繋がる結果、明瞭なα緩和に発展して粘性流動が生じます。図2bと図2cは構造とエネルギーの視点に基づいて、β緩和とこれらが連結して得られるα緩和の関係を模式的に示しています。HE-MGの小さなSTZは、これがα緩和に資する臨界サイズに成長する迄により多くの熱エネルギーを必要とし、更には、ハイエントロピー合金特有のスラギッシュ拡散は、これらSTZの広範囲に及ぶ連結をさらに困難にするため、α緩和の活性化エネルギーが増大する結果、Tαが高温側にシフトしたものと予想されます。

意義・課題・展望

5成分以上の等モル分率組成近傍といった「ハイエントロピー合金」の概念は結晶系金属材料の開発に適用されて研究開発が進められてきました。最近、この新概念を非結晶系金属材料、すなわち、「金属ガラス」に適用し、これら2つの概念を併せ持つ新たな合金を開発し、新奇な性質を見出す研究に注目が集まっています。本研究の実験結果によって、比熱(熱力学)と粘性率(動力学)の変化から検出される2つのガラス遷移温度に見られた密接な対応関係が、ハイエントロピー化を意図的に進めることによって崩れることが初めて示されました。この現象は、ハイエントロピー金属ガラスの組織観察から、そのより均質化したガラス構造に起因し、ハイエントロピー合金のコア効果の一つとして知られるスラギッシュ拡散も関与していると考えられます。しかしながらこれらの要因以外にも、異種原子同士の化学的または幾何学的な相互作用の影響なども考えられるため、更に、多くの種類の金属ガラスを用いて系統的に研究を重ね、その一般性を検証する必要があります。いずれにしても今回実験的に示された熱力学的および動力学的ガラス遷移温度のハイエントロピー化に伴うデカップリング現象は、物質のガラス遷移を根本的に理解する上で重要なヒントを与えていると考えられます。

論文情報

雑誌名: Nature Communications
英文タイトル: Decoupling between calorimetric and dynamical glass transitions in high-entropy metallic glasses
全著者: Jing Jiang, Zhen Lu, Jie Shen, Takeshi Wada, Hidemi Kato & Mingwei Chen
DOI: 10.1038/s41467-021-24093-w新しいタブで開きます
専門用語解説(注釈や補足説明など)
※1配置エントロピー
系が取り得る原子配置の場合の数に関係づけられる熱力学的状態量。多くの元素が等モル比で混ぜ合わされるほど大きな値をとる。
※2熱力学的ガラス遷移温度Tg
昇温されたガラス固体が、過冷却液体に遷移するガラス遷移温度を、比熱が急激に増大する温度から定義したもの。
※3動力学的ガラス遷移温度Tα
昇温されるガラス固体が、約1012 Pa sの粘性率にまで減少して過冷却液体に遷移するガラス遷移温度を、強制振動を付与した動的機械試験で得られる最大内部摩擦ピーク温度から定義したもの。付与する振動の周波数によって、ピーク時の粘性率が異なる。1 Hzを付与した本研究の場合、実際には粘性率が固体と液体の境界とされる1012 Pa sよりも小さい1010 Pa s程度まで緩和が進行した温度を検出し、異なる合金間でその大小を比較している。
共同研究機関および助成

文部科学省科学研究費補助金「新学術領域研究(研究領域提案型)」“ハイエントロピー合金:元素の多様性と不均一性に基づく新しい材料の学理”(領域番号6006 代表:乾晴行)の計画研究課題の1つである“ハイエントロピー効果に基づく新材料創製と新機能創出”(18H05452 代表:加藤秀実)に基づいて進められました。


図1a:La55Ni20Al25 MGとCe55Ni20Al25 MGおよびLa27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGを20 K/minで昇温して得られた示差走査熱量分析(DSC)曲線(熱力学的ガラス遷移温度Tgを矢印で示した)
図1b:La55Ni20Al25 MGとCe55Ni20Al25 MGおよびLa27.5Ce27.5Ni20Al25 HE-MGに1 Hzの強制振動を付加し、3 K/minで昇温して得られた損失弾性率曲線(それぞれ最大値で規格化し、動力学的ガラス遷移温度Tαを矢印で示した。また、挿入図は組成変化に伴うTgTαの変化を示している)

図2a:従来の金属ガラス(上)とハイエントロピー金属ガラス(下)の構造の違いを示す模式図。エネルギー分散型X線分光解析(EDS)によって、ハイエントロピー金属ガラスは、比較的に均質性の高い組成分布を有することが分かりました。これは多元化・当モル分率近傍組成による高配置エントロピー化に起因すると考えられます。
図2b:温度上昇に伴うせん断誘起変態領域(STZ)の成長と緩和挙動との関係を示す模式図。
図2c:金属ガラスのエネルギーランドスケープを示す模式図。β緩和は固有の大型活性化エネルギーを要するα緩和の可逆的なホッピングイベントに対応し、α緩和は、異なる大型活性化エネルギー間を跨ぐ不可逆的なホッピングイベントに対応することを示しています。

本件に関するお問い合わせ先

研究内容に関して

東北大学金属材料研究所
非平衡物質工学研究部門
教授 加藤 秀実(カトウ ヒデミ)

Tel: 022-215-2110
Fax: 022-215-2111
E-mail: hikato@imr.tohoku.ac.jp

報道に関して

東北大学金属材料研究所 情報企画室広報班

Tel: 022-215-2144
Fax: 022-215-2482
E-mail: imr-press@imr.tohoku.ac.jp

東北大学材料科学高等研究所 広報戦略室

Tel: 022-217-6146
E-mail: aimr-outreach@grp.tohoku.ac.jp