反強磁性体がまた一歩「使える」材料に

2020年11月12日

東北大学先端スピントロニクス研究開発センター
東北大学スピントロニクス学術連携研究教育センター
東北大学電気通信研究所
東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センター
東北大学材料科学高等研究所

反強磁性体がまた一歩「使える」材料に

~多結晶金属ヘテロ構造の反強磁性スピン秩序の電気的制御を実証~

発表のポイント

  • 半導体プロセスと互換性のある反強磁性材料の電気的制御を実証
  • 反強磁性スピン秩序の電流制御と長時間の状態保持が可能な多結晶金属ヘテロ構造を開発し、放射光で可視化に成功
  • 反強磁性スピントロニクスの電子デバイス産業利用に前進

概要

「反強磁性スピントロニクス」の工学利用への注目が高まっていますが、電子デバイスとして応用するためには、現行の半導体プロセスと互換性がある材料に機能性をもたせることが課題となっていました。

東北大学先端スピントロニクス研究開発センターのサミック・ダッタグプタ助教、電気通信研究所の深見俊輔教授、大野英男教授(現、総長)らは、ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア)、スイス連邦工科大学らとの共同研究により、反強磁性スピン秩序の電気的制御と長時間の状態保持が可能なうえ、半導体プロセスと互換性のある多結晶金属ヘテロ構造を開発し、英国の放射光施設にてその様子を可視化することに成功しました。

今回開発した材料と手法は「反強磁性スピントロニクス」の産業利用を大きく前進させるものであり、従来にない機能、性能を有した人工知能ハードウェアなどの革新的情報技術へと繋がるものと期待されます。

本研究成果は2020年11月11日に英国の科学誌「Nature Communications」のオンライン速報版で公開されました。

詳細な説明

背景

1970年に反強磁性に関する基礎的研究および諸発見の業績でノーベル物理学賞を受賞したフランスの科学者ルイ・ネールはその受賞講演にて “they (antiferromagnetic substances) are extremely interesting from the theoretical standpoint but do not appear to have any practical applications.” (「反強磁性物質は理論的にはとても興味深いが、産業的な応用は不可能であろう」)と述べています。自発的に磁気的な秩序を有する材料には強磁性体と反強磁性体(図1)があります。このうち強磁性体は磁気モーメント(スピン)が揃うように配列することで全体として磁石の性質を帯びます。これによって強磁性体は紀元前から方位磁石で使われているほか、100年以上に渡ってモーターや電磁石で利用され、近年では磁石の極性でデジタル情報の「0」と「1」を記憶する、ハードディスクドライブや磁気抵抗ランダムアクセスメモリ(注1)も実現されています。これに対して反強磁性体は隣接する磁気モーメントが互いに打ち消し合うように配列するため、全体としては磁石の性質を示さず、このためほぼ「使えない」材料と認識されていました。

しかし近年、反強磁性体に関する研究が、ネールが思いもしなかった方向へと発展しています。2016年にチェコと英国の研究者らは、量子相対論的効果を用いることで図1に示すように反強磁性体のスピン秩序を電気的に制御できることを見出しました。また同年東北大学のグループは反強磁性体に電流を流すことでそれに直交する方向にスピンの流れが生じ、隣接する強磁性体を電気的に制御できることを見出し、かつこの現象を利用して人工知能ハードウェアを実現できる可能性を実証しました。これらは反強磁性体の未開拓の性質の工学的な有用性(反強磁性体が「使える」材料であること)を明らかにするものであり、これらの研究が契機となり近年「反強磁性スピントロニクス」(注2)と呼ばれる新興学術領域が形成されつつあります。ところで、チェコと英国のグループが実証した反強磁性スピン秩序の電気的制御は、分子線エピタキシーと呼ばれる手法を用いて単結晶基板上にエピタキシャル成長させた薄膜で実現されていましたが、産業化のためには半導体プロセスで広く用いられている酸化膜で覆われたシリコン基板上にスパッタリング法で堆積した薄膜を用いて実現することが望ましく、これが重要課題となっていました。

研究内容

今回、東北大学、ニューサウスウェールズ大学(オーストラリア)、スイス連邦工科大学チューリッヒ校(スイス)、放射光施設ダイヤモンド(英国)からなる研究グループは、酸化膜の付いたシリコン基板上にスパッタリング法で堆積した反強磁性金属からなる多結晶ヘテロ構造を開発し、この構造で先行研究と同様に反強磁性スピン秩序を電気的に制御でき、かつその状態を長時間保持できることを実証しました。また放射光(注3)を用いた観察手法により、反強磁性スピン秩序が電流に対して変化する様子を可視化することに成功しました。

今回作製した多結晶反強磁性金属ヘテロ構造の膜構成が図2(a)に示されています。反強磁性金属としてPtMn(白金-マンガン)合金が用いられています。この材料は、ハードディスクドライブの読み取りヘッドや第一世代の磁気抵抗ランダムアクセスメモリ(注1)で利用されています。研究チームは微細加工技術によりこのヘテロ構造からなるデバイスを作製し、その特性を電気的に評価しました。図2(b)には「0」に対応する書き込み電流、「1」に対応する書き込み電流を10回ずつ交互に入力した時の、反強磁性スピン秩序の方向によって変化するホール抵抗の測定結果が示されています。書き込み電流によって反強磁性スピン秩序が制御できていることが分かります。詳細な実験から、この現象はPtMn層の上側に設けられたPt(白金)層が量子相対論的効果によって発現するスピンの流れによって誘起されていることが明らかになりました。続いて、記録された状態の熱的な安定性を調べるため、書き込みを行ったのち長時間放置し、ホール抵抗を逐次測定する実験が行われました。その結果が図2(c)に示されています。5時間に渡って状態が安定して保持されていることが分かります。最後に、観測されたホール抵抗の変化が反強磁性スピン秩序の変化によるものであることを確認するため、放射光施設においてX線磁気線二色性を用いた光電子顕微鏡法(注3)による反強磁性スピン秩序を直接観察しました。可視化されたPtMnのスピン秩序の像が図2(d、e)に示されています。スピン秩序の変化に対応した白黒のコントラストの変化が確認できます。

意義と今後の展望

冒頭で述べたように反強磁性体は強磁性体とは異なり磁石の性質を持たないことから、外部に磁界を出さず、また外部からの磁界にもほとんど応答せず、これが反強磁性体の短所と考えられていました。しかし近年の研究から反強磁性体の状態を電気的に制御し、かつ検出できる原理が明らかになるに伴い、この性質は長所として認識されつつあります。例えば、原理的には反強磁性体からなる素子は互いの距離が近付いてもお互いが干渉し合うことなく密に集積でき、また外部からの磁界の擾乱に対しても安定に動作すると期待されます。今回、半導体プロセスと互換性のある材料で反強磁性体の電気的制御を実現できたことから、今後いくつかの課題を克服することで、革新的な電子デバイスやそれを利用したエネルギー効率の高い人工知能ハードウェアなどの実現へと繋がっていくことが期待されます。

図面

図1)強磁性体と反強磁性体のスピン秩序の電気的制御の概念図。強磁性体では磁気モーメント(スピン)が互いに揃うように配列しており、全体としての磁化の方向でデジタル情報の「0」と「1」を記憶できる。対して反強磁性体では全体としての磁化は持たないが、ミクロには磁気的な秩序があり、その状態に対して情報の「0」と「1」を割り当てることができる。

図2)今回開発した材料の膜構成、及び得られた実験結果。(a)反強磁性金属PtMnを有するヘテロ構造の構成。(b)電流の導入方向を変えて「1」と「0」を交互に書き込んだ時のホール抵抗の変化。書き込んだ信号に応じて抵抗が変化していることが分かる。(c)「1」および「0」を書き込んだのち、5時間室温で放置した時のホール抵抗の変化。状態が維持されていることが分かる。(d)、(e)放射光を用いて可視化した「1」および「0」を書き込んだ後のPtMnのスピン秩序方向。黒い領域が変化していることが分かる。

用語解説
注1)磁気抵抗ランダムアクセスメモリ
磁化の方向でデジタル情報を記憶し、電気的に読み書きを行う半導体メモリ。MRAM(Magnetoresistive Random Access Memory)と呼ばれる。第一世代のMRAMは2007年ごろから実用化が開始され、そこでは磁化が膜面内方向を向く構造が採用され、その中でPtMn合金が用いられていた。2018年ごろからは第二世代のMRAMの実用化が始まっており、ここでは磁化が膜面直方向を向く構造が採用されている。
注2)スピントロニクス、反強磁性スピントロニクス
スピントロニクスとは電子の持つ電気的性質(電荷)と磁気的性質(スピン)の同時利用により発現する新奇物理現象を明らかにして工学的に利用することを目指す学術分野。反強磁性スピントロニクスとはスピントロニクスの原理を発展させることで現れる反強磁性体の未開拓の機能性を明らかにして工学利用を目指す新興学術分野。
注3)放射光、X線磁気線二色性、光電子顕微鏡
放射光とは光に近い速度で運動する電子が磁場中でローレンツ力により曲がるときに進行方向に放出される電磁波。材料の分析や医療などで利用される。X線磁気線二色性(X-ray magnetic linear dichroism; XMLD)とは、直線偏光したX線の反射または透過強度が磁性体のスピン秩序を反映して変化する現象。よく似た現象にX線磁気円二色性(X-ray magnetic circular dichroism; XMCD)があり、これは円偏向したX線の反射または透過強度が磁性体のスピン秩序を反映して変化する現象を指す。XMCDは反強磁性体では観測されないが、XMLDは強磁性、反強磁性いずれでも観測される。光電子顕微鏡とは物質から放出される二次電子を拡大結像して試料の実空間の情報を得る顕微鏡手法。XMCDやXMLDの過程で放出される二次電子で光電子顕微鏡像を得ることで試料のスピン秩序の空間分布を可視化できる。

掲載論文

Title: “Spin-orbit torque switching of an antiferromagnetic metallic heterostructure”
(反強磁性金属ヘテロ構造のスピン軌道トルク反転)
Authors: S. DuttaGupta, A. Kurenkov, O. A. Tretiakov, G. Krishnaswamy, G. Sala, V. Krizakova, F. Maccherozzi, S. S. Dhesi, P. Gambardella, S. Fukami and H. Ohno
Journal: Nature Communications
DOI: 10.1038/s41467-020-19511-4新しいタブで開きます

問い合わせ先

研究に関すること

東北大学電気通信研究所
教授 深見 俊輔

Tel: 022-217-5555
E-mail: s-fukami@riec.tohoku.ac.jp

報道に関すること

東北大学 電気通信研究所 総務係

Tel: 022-217-5420
E-mail: somu@riec.tohoku.ac.jp