反強磁性体の新しい物理と応用を開拓

2016年02月16日

東北大学 電気通信研究所
東北大学 省エネルギー・スピントロニクス集積化システムセンター
東北大学 国際集積エレクトロニクス研究開発センター
東北大学 原子分子材料科学高等研究機構(AIMR)
文部科学省
科学技術振興機構(JST)

反強磁性体の新しい物理と応用を開拓

-スピン・軌道相互作用を用いた磁化の制御に成功-

ポイント

  • 反強磁性体に電流を流すとスピン(磁気)の流れが生じることを発見
  • 反強磁性/強磁性積層膜において無磁場下で電流による磁化反転を実証
  • 超低消費電力集積回路の実現に加え、脳型情報処理応用にも光

概要

内閣府 総合科学技術・イノベーション会議が主導する革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)の佐橋政司プログラム・マネージャーの研究開発プログラム、及び文部科学省「未来社会実現のためのICT基盤技術の研究開発」の一環として、東北大学電気通信研究所の大野英男教授(同大学省エネルギー・スピントロニクス集積化システムセンター(以下、CSIS)・センター長、国際集積エレクトロニクス研究開発センター(以下、CIES)・教授、原子分子材料科学高等研究機構・主任研究者兼任)、CSISの深見俊輔准教授(CIES・准教授兼任)らは、反強磁性体に電流を流すとスピン(磁気)の流れが生じることを見出し、これによって隣接する強磁性体の磁化を反転させることに世界で初めて成功しました。
強磁性体(磁石)は電力を要することなく磁化の向きとして情報を保持できるため、集積回路の記憶素子に用いると回路全体の超低消費電力化が可能です。このような集積回路を実現する上では、いかに効率的に磁化方向を反転させて情報を記録するかが鍵となります。最近新しい磁化反転手法として、非磁性重金属と強磁性体を積層させた系においてスピン・軌道相互作用によって生ずるスピンの流れを利用する方法が注目を集めています。
本研究グループは、非磁性体ではなく反強磁性体を用いた系において、このスピンの流れを用いて隣接する強磁性体の磁化を反転することに成功しました。非磁性重金属を用いた系で磁化反転を行う場合には定常的な外部磁場を印加する必要がありましたが、今回用いた系では反強磁性体の特殊な性質により無磁場での磁化反転が可能です。加えて、ある膜構成においては反転する磁化の量をアナログ的に制御できることも明らかにしました。
今回得られた成果は、反強磁性体やスピン輸送現象の新しい物理を切り拓くものであり、また超低消費電力集積回路の開発を促進することも期待されます。またアナログ的な振る舞いについては生体におけるシナプスの動作様式と類似していることから、現在様々な技術階層で研究が行われている脳型情報処理を実現するキーデバイスとしても期待されます。
本研究成果は、2016年2月15日(英国時間)に英国科学誌「Nature Materials」のオンライン速報版で公開されます。

研究の背景と経緯

現在我々が利用している情報インフラや電子機器は、いずれも膨大な数の半導体素子から構成される集積回路(注1)によって制御されています。こうした集積回路は主に電子の持つ電気的な性質を利用していますが、ここに電子の自転運動(スピン)に起源を持つ磁気的な性質をも利用することを目指した「スピントロニクス」と呼ばれる学術領域が非常に注目されています。現在の集積回路において情報処理の際の一時的な記憶に用いられているメモリ素子は電源を切ると記憶情報が消失するのに対し、強磁性体(磁石)(注2)からなる磁気メモリ素子を用いた場合には情報の保持に電力を要しません。これによって集積回路の消費電力を1/100以下に低減できることが研究レベルで示されており、また耐災害性に優れた情報処理システムを構築できることも期待されています。
ナノメートルスケールの強磁性体の内部はスピンが一方向に揃って磁化しており、情報を記録するためにはこの磁化の方向を反転させる必要があります。この磁化の反転をいかに小さな電流で高速に、かつ信頼性高く実現するかが、スピントロニクスの集積回路応用に向けた鍵を握っていると言えます。ここ数年、量子相対論的効果であるスピン・軌道相互作用(注3)を利用する方法が高速、かつ信頼性の高い磁化反転を実現する新しい手法として注目を集めています。これまでの研究から、非磁性重金属(注2)(白金、タンタルなど)と強磁性体を積層させた系に電流を流すと、スピン・軌道相互作用によって電流と直交する方向にスピンの流れが生じて強磁性体の磁化にトルク(スピン軌道トルク)が働き、磁化を反転させられることが分かっていました。これはスピン軌道トルク磁化反転と呼ばれています。スピン軌道トルク磁化反転を高速で行う場合には定常的な一方向の外部磁場を印加する必要があり、これが応用上の課題でした。
本研究グループは、スピン軌道トルク磁化反転に反強磁性体(注2)と呼ばれる材料を用いることを考えました。反強磁性体とは、その内部において隣り合う原子間でスピンが互い違いの方向に向いた物質であり、全体としては磁化を持ちません。これまで産業界においては一部の技術において脇役として用いられているに過ぎませんでした。また学術的にも強磁性体や非磁性体の内部におけるスピンの運動(スピン輸送現象)についてはよく研究されていましたが、反強磁性体におけるスピン輸送現象はあまりよく調べられてはいませんでした。

研究の内容

今回、本研究グループは反強磁性体と強磁性体を積層させた系(図1参照)におけるスピン軌道トルク磁化反転を調べました。具体的には、反強磁性材料であるPtMn(白金マンガン)と強磁性材料であるCo/Ni(コバルトニッケル)膜を積層し、微細加工技術を用いて電気的な評価が可能な素子を形成しました。作製した素子に電流を導入したときの強磁性体の磁化状態を評価し、主に以下の3つの点を世界で初めて明らかにしました。

  • 当積層膜に電流を導入すると反強磁性体内でスピンの流れが誘起され、強磁性体の磁化を反転させるのに十分なスピン軌道トルクが発現することを明らかにしました。これまでの研究ではスピン軌道トルクの供給源には磁気的な性質を持たない非磁性体が用いられていましたが、本研究によって反強磁性体を用いることもできることが明らかになりました。なお磁化反転に要した電流密度は、従来の非磁性体と強磁性体の積層系において報告されていた値と同程度でした。
  • 上述の磁化反転が外部磁場を印加することなく実現されることを明らかにしました。強磁性体に反強磁性体を隣接させると、その界面において一方向に内部磁場(交換バイアス磁場)が働くことが知られています。この内部磁場によって、従来の非磁性重金属と強磁性体の積層系において必要であった外部磁場が不要になりました。これによりスピン軌道トルク磁化反転の応用上の大きな課題が解消されたことになります。
  • 反強磁性体の膜厚がある範囲にあるとき、導入した電流の大きさに応じて反転する磁化の量がアナログ的に変化することが分かりました(図2参照)。これは、今回の構造を用いてメモリ素子を作製した場合、「0」と「1」の間の中間的な任意の値を記憶できることを意味しています。当積層膜における磁化反転を詳細に調べた結果、この中間的な状態においては強磁性体内部において磁化が反転している領域としていない領域がナノスケールで分布しており、またこのような性質は上述の反強磁性体と強磁性体の界面における磁気的な相互作用に由来していることがわかりました。

 

今後の展開

本研究によって、スピン軌道トルク磁化反転の応用上の懸案であった外部磁場が必要であるという問題が反強磁性体を用いることで解消できることがわかりました。この知見は超低消費電力集積回路応用を目指したスピン軌道トルク磁化反転を用いた磁気メモリ素子の開発を促進するものと期待されます。
またアナログ的な振る舞いについては従来の固体メモリ素子にはない特性であり、既存の情報処理の枠組みを刷新する技術へと発展する可能性をも秘めています。最近、脳の動作形態に倣って情報を処理する脳型情報処理、あるいは人工知能という技術のが注目を集めています。脳においてはニューロンのネットワークで情報が処理され、ここではネットワーク内に分散するシナプスが記憶機能を担っています。今回の研究で確認されたアナログ的な振る舞いはシナプスが有する性質と類似していることから、今後の研究開発によって反強磁性/強磁性素子が人工的なシナプスとしての要件を満たせば、脳型情報処理を高効率に実現するためのキーデバイスとなることも期待されます。

付記事項

本成果は、以下の事業・研究プロジェクトによって得られました。
 内閣府 革新的研究開発推進プログラム(ImPACT) http://www.jst.go.jp/impact/#index1 (新しいタブで開きます)
プログラム・マネージャー : 佐橋政司
研究開発プログラム : 無充電で長期間使用できる究極のエコIT機器の実現
研究開発課題 : スピントロニクス集積回路を用いた分散型ITシステム
研究開発責任者 : 大野英男
研究期間 : 平成26年度~平成30年度
本研究開発課題では、超低消費電力スピントロニクス集積回路の開発に取り組んでいます。

 文部科学省「未来社会実現のためのICT基盤技術の研究開発」
研究代表者 : 大野英男
課題名 : 耐災害性に優れた安心・安全社会のためのスピントロニクス材料・デバイス基盤技術の研究開発
研究期間 : 平成24年度~平成28年度
本研究開発課題では、微細スピントロニクス材料・素子・回路技術の開発に取り組んでいます。

■ ImPACTプログラム・マネージャーのコメント ■
大野先生が推進するスピントロニクス集積回路とそれを用いた分散ITシステムの研究開発は、ImPACT「無充電で長時間使用できる究極のエコIT機器の実現」の要であり、IoT(Internet of Every Thing)時代の革新的情報処理システムの実現を目指すものである。
高速性に優れたスピン軌道トルク(反強磁性体と強磁性体積層系のスピン・軌道相互作用によって生ずるスピンの流れ)を利用した新規MRAMの実現可能性を、無磁場下で実験実証した本成果は、高速・省電力スピントロニクス集積回路を用いた究極のエコIT機器の実用化を目指すにあたって大変インパクトのある成果である。本研究開発の成果を弾みに、市場展開に向けた活動の更なる加速を図りたい。

参考図

pr_160216_01.jpg図1:作製した反強磁性体と強磁性体の積層膜からなるスピン軌道トルク磁化反転素子の模式図。反強磁性体内部においては磁気モーメントが互い違いの方向を向いている。強磁性体は磁気モーメントが膜面垂直方向を向くような材料を用いているが、反強磁性体との界面付近では内部磁場によって面内方向に傾斜している。この積層膜に電流を導入すると、反強磁性体内においてスピン・軌道相互作用によってスピンの方向に応じて電子が異なる方向に散乱され、膜面垂直方向にスピンの流れが生ずる。これが強磁性体の磁化にトルク(スピン軌道トルク)を及ぼし、磁化反転を誘起する。

pr_160216_02.jpg図2:代表的な測定結果。作製した素子に電流を導入したときの、ホール抵抗の印加電流依存性。縦軸のホール抵抗は強磁性体の垂直方向の磁化成分を反映している。測定は無磁場で行われている。印加する電流の大きさに応じて、得られるホール抵抗(磁化の反転の量)が連続的に変化している様子がわかる。

用語解説

注1)集積回路
トランジスタ、メモリ、コンデンサなどが配線によって接続された状態で一枚の半導体基板上に作りこまれ、ある機能を果たすように設計された回路。あらゆる電子機器において用いられており、現在の情報化社会の根幹をなしている。典型的な集積回路は、情報の処理を担当するプロセッサと、一時的、ないしは中期的な情報の記憶を担当するキャッシュメモリ、メインメモリ、及び長期的な情報の記憶を担当するストレージによって構成されている。このうちキャッシュメモリ、メインメモリには主にスタティックランダムアクセスメモリ(SRAM)やダイナミックランダムアクセスメモリ(DRAM)が用いられており、これらは電源を切ると記憶情報を失う、揮発性のメモリである。一方でスピントロニクスメモリ素子はSRAMやDRAMと同等速度で動作でき、かつ電源OFF時も情報を保持することができる(不揮発性を有する)。
注2)強磁性体、反強磁性体、非磁性体
一個一個の電子は自転運動しており、磁気的な性質(スピン)を有している。これらのスピンの間で平行方向を向くような相互作用が働き、これによって自発的に磁石として振る舞うような物質を強磁性体と言う。これに対して、隣り合うスピンが反平行方向を向き(あるいは3つ以上のスピンが互いに相殺する方向を向き)、全体としてスピンのベクトル和がゼロになるような物質を反強磁性体と言う。非磁性体とはこのような相互作用が弱く、各々のスピンがランダムな方向を向いているような物質を指す。
注3)スピン・軌道相互作用
電子のスピン(自転運動)と軌道運動(並進、公転運動など)の相互作用。例えば電場中を運動する電子にはスピン・軌道相互作用を介して実効的な磁場が働き、電子のスピンの方向に応じて異なる方向に散乱される。これによって電流と直交する方向にスピンの流れが生じる現象のことをスピンホール効果と言う。これまでのスピンホール効果に関する研究では主に非磁性体が扱われていたが、本研究によって反強磁性体においてもスピンホール効果が生じることが明らかになった。

論文情報

“Magnetization switching by spin-orbit torque in an antiferromagnet/ferromagnet bilayer system
(反強磁性/強磁性積層膜におけるスピン軌道トルク磁化反転)
DOI: 10.1038/nmat4566 (新しいタブで開きます)

 

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東北大学 省エネルギー・スピントロニクス集積化システムセンター 准教授

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E-mail : s-fukami@csis.tohoku.ac.jp

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