真空中でも生きられる「ナノスーツ」を発明

2013年04月16日

科学技術振興機構
浜松医科大学
東北大学原子分子材料科学高等研究機構

生きた状態での生物の高解像度電子顕微鏡観察に成功

-高真空中でも気体と液体の放出を防ぐ「ナノスーツ」を発明-

概要

浜松医科大学の針山 孝彦教授と東北大学 原子分子材料科学高等研究機構の下村 政嗣教授らの研究グループは、高真空下でも生命を保護できる生体適合性プラズマ重合注1)膜を発明し、生きたままの状態で生物の高解像度な電子顕微鏡観察に成功しました。

生物の体表は、多様な環境に対応するために細胞外物質(ECS)注2)で覆われています。しかし、電子顕微鏡観察で行われる高真空下のような極限状態では、細胞外物質は内部の物質の放出を抑制することができず、体積が収縮し表面微細構造は大きく変形してしまいます。そこで、できるだけ生きた状態に近い微細構造を観察するため、これまでは化学固定や試料の乾燥、金属蒸着などの表面ハードコーティング処理を行い、死んだ試料を観察していました。

本研究グループは、ショウジョウバエやハチの幼虫など一部の生物がもつ細胞外物質に電子線またはプラズマを照射することで、高真空下でも生物内部に含まれる気体や液体が奪われることを防ぐナノ重合膜(ナノスーツ)が形成されることを明らかにしました(図1)。さらに、その細胞外物質に類似した化学物質を塗布してナノスーツを形成させると、生きたままで高分解能な電子顕微鏡観察が可能になりました。今後は、これまで観察していた死んだ生物の微細構造ではなく、さまざまな生物を生きた状態で本来の微細構造や運動を直接観察できるようになり、生物のもつ未知の生命現象や行動の解明が期待されます。

本研究成果は、米国科学雑誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」のオンライン速報版で2013年4月15日の週(米国東部時間)に公開されます。

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図1 プラズマによる表面修飾の模式図

サンプルを照射装置の中に入れ(A)、プラズマ処理をする(B)と、サンプル表面にナノスーツが形成される(C)。

研究の背景と経緯

生物は多様な環境で生存するために、さまざまな機能や仕組みを発達させてきました。それらを学び模倣して、新しい材料やシステムを開発する生物模倣技術注3)が注目されています。生物模倣技術の1つとして、生物の微細構造を模倣した材料開発が盛んに研究されています。ハスの葉の超撥水性、蝶の羽の構造色、さめ肌の低摩擦性などが良く知られています。

その根底にある生物表面の微細構造は、主に電子顕微鏡により観察されています。高解像度な電子顕微鏡観察には、電子線の透過しやすい高真空環境が必須なため、生物試料を電子顕微鏡内の高真空チャンバーに配置する必要があります。しかし、体重の80%近くを水が占める生物を高真空下に配置すると、水分の蒸発により体積収縮し、その表面微細構造は大きく変形します。そこで、できるだけ生きた状態に近い微細構造を観察するため、生物試料を化学固定し、乾燥処理や表面ハードコーティング処理を行い、死んでいる生物を高分解能な電子顕微鏡で観察しているのが現状です。また、水の蒸発を抑制するために低真空下での観察を可能とする装置や、生物試料周辺のみの真空度を落とすことを可能とする装置が開発されていますが、電子線の透過度が低くなり、結果としてこれらの技術では表面微細構造の細部まで観察することは困難なのです。

研究の内容

本研究チームはまず、浜松医科大学の高分解能走査型電子顕微鏡(FE-SEM)注4)を用いて、さまざまな生物を高真空下でそのまま観察しました。その結果、ほとんどの生物は真空環境におかれると死に至り、その表面構造は体積収縮により変形していました。しかし、粘性をもつ細胞外物質(ECS)を個体の最外層にもつ一部の生物(ショウジョウバエやハチなどの幼虫)では、体積収縮のない微細構造表面を観察することができるだけでなく、電子顕微鏡の中で活発に動いていました(図2A~C)。そして、その生物を電子顕微鏡から取り出して飼育を続けると成虫になりました。ところが、同じFE-SEM内で電子線照射なしで1時間放置(図2F)した後に、電子顕微鏡観察するとショウジョウバエの幼虫は体積収縮により変形し、死亡していました(図2G)。これらの結果から、電子線照射によって高真空下でも生命維持できる秘密があることが考えられました。

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図2 ナノスーツ処理したショウジョウバエ幼虫(ウジ)の電子顕微鏡画像

ショウジョウバエの幼虫を電子顕微鏡内に直接入れて観察(A)すると、0分後(B)から1時間過ぎてもその形態は変化していなかった(C)。Eのように電子線による観察なしで、Aと同じ電子顕微鏡内に高真空にだけさらすと、実体顕微鏡下で健常な幼虫(F)が、1時間後には脱水されペシャンコになっていた(G)。この結果は、生物表面がナノスーツで覆われていることを暗示していると考えた。ウジの最外層を透過型電子顕微鏡で観察すると、電子線照射していないと観察されない層(H)が、電子線照射したものでは三角矢頭で挟んだ部分の層の存在がある(D)ことがわかった。

生命維持されているショウジョウバエの幼虫表面の構造的な特徴を観察するため、FE-SEM観察前後の幼虫の最外層の超薄切断面を作製し透過型電子顕微鏡(TEM)注5)で観察しました。電子線照射による観察後の幼虫では、50~100nm(ナノメートル、ナノは10億分の1)の薄膜が形成されていました(図2D)。しかし、電子線照射なしで1時間放置した個体の超薄切断面のTEM観察では、最外層の薄膜は観察されませんでした(図2H)。この結果から、FE-SEM観察時の電子線照射により、幼虫の最外層に50~100nmの薄膜が形成され、それが高真空下での気体や液体の放出を抑制していることがわかりました。また、FE-SEM観察前にプラズマ照射して同様の実験操作を行うと、電子線照射の場合と同じ結果が得られました。以上の結果から、幼虫の最外層にある粘性の高いECSは、電子線またはプラズマ照射により体内の物質の放出を抑制できる50~100nmの薄膜を形成し、高真空下でのFE-SEM観察を実現できることがわかりました。本研究チームは、この膜を「ナノスーツ」と名付けました。

次に、幼虫のECSの成分分析を行い、類似した化学官能基をもつ溶剤を選定し、ECSをもたない生物に対して同等の機能の発現を試みました。成分分析の結果や生体適合性という観点から、食品添加物にも指定されている界面活性剤(Tween20)を選択しました。直接FE-SEM観察すると体積収縮による変形が起こり、数分の間に平べったくなってしまうボウフラ(幼虫)(図3A)にTween20をごく薄く塗布し、プラズマ処理してナノスーツを装着させました。その試料でFE−SEM観察すると、高真空下でも体積収縮がなく微細構造を観察できました(図3B、C)。

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図3 ナノスーツ処理した蚊の幼虫(ボウフラ)の電子顕微鏡画像

ナノスーツ(Tween20を塗布)で保護していない試料は、電子顕微鏡内の高真空環境に耐えられずしわくちゃになって死んでしまうが(A)、ナノスーツで覆われた生物は、形態変化を起こすことなく動く様子が観察できる(B)。30分後でも活発に運動を続ける(C)。Bの胴体部分や、Cの尾部の写真のブレは活発な動きによるもの。各スケールバーは、300μm。

また、ボウフラは微細構造観察時にも活発に活動しており、観察後に飼育水に戻すと蚊に成長しました。観察後のボウフラの断面のTEM観察を行うと、ナノスーツで被覆した試料からはショウジョウバエの幼虫のECSの場合と同様に、最外層に50~100nmの薄膜が形成されていることがわかりました(図4F)。Tween20でも、ショウジョウバエの幼虫と同様に、電子線またはプラズマ照射により物質の放出を抑制できる薄膜が形成され、FE-SEM観察により生きた状態の微細構造を観察できることがわかりました。

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図4 Tween20溶液とプラズマ照射による ナノスーツの形成

A~Cは、Tween20塗布およびプラズマ照射なしのボウフラのサンプル。Aで示したように、30分間で堅い骨格をもった頭部以外の胴部はペシャンコになる。△印の部分は電子線によるチャージが生じていることを示している。Bは、Aの□部分の拡大写真で、多くのしわが寄っていることが明瞭にわかる。Cで示したTEM像では、図2Hのウジと同様に最外の層がない。D~Fは、Tween20を人工的に塗布しプラズマ照射することにより高真空内で生命維持できるようにしたボウフラの像。Dのように形態変化せず、図3のようにSEM内で動き続ける。Eは、Dの□部分の拡大。Bに比べて表面構造の規則性が顕著である。その表面をTEMで観察すると(F)、△矢印で示した薄膜がクチクラ表面を覆っていることが示された。

従来の実験方法は、生物試料を化学固定した後、形をできるだけ維持する乾燥法により試料内部の液体成分を除去したのち、試料表面に金やオスミウムなどでコーティングをして観察していました。この方法で注意深く作業を行っても、体内に水分が多い材料では変形をなかなか防ぐことができず(図5A)、高倍率で観察すると未処理の変形(図4B)に比べて少ないとはいえ、多くのしわが観察されました(図5B)。生きたままのボウフラを観察すると整然と並んだ蛇腹構造が観察されました(図5D)。従来法では、その処理に時間がかかるだけでなく、処理による変形を観察している可能性があります。ナノスーツ法で観察すれば、数分の処理で変形のほとんどない生きたままの姿を観察することができます。

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図5 従来法とナノスーツ法の比較

従来法(化学固定法)で作製した、死んだ試料(A、B)と、新規ナノスーツ法で生きたまま観察した試料(C、D)の電子顕微鏡像。低倍率でも従来法によるサンプルの痛みが観察されるが、高倍率/高分解能で解析すると、それぞれの表面の微細構造は大きく異なり(B、D)、これまでの死んだサンプルでの観察には処理により変形が伴っていたことがわかった。

これまで用いてきた動物の種だけでなく、別種にも本技術が適用できるかどうか調べるために、種々の生物にナノスーツ法を適用してみました。電子顕微鏡に入れることのできたサイズのほとんどの動物種で、生命を維持し動的な観察を続けることができました。その例として、図6にハムシの体表面をナノスーツで保護し、生きたまま電子顕微鏡で観察した像を示します。背中側を試料台に貼り付けて腹側を観察していますが、ハムシは頭や胸部、脚など全てを自由に動かすことができます。この写真では前脚が大きく動いてしまっているので、楕円で囲った部分の前脚がブレてしまっています(図6A)。動きがたまたま止まったときに前脚第一節のSETAと呼ばれる多数の毛状構造が密集していることがわかり、この構造がどのように接着面と作用しているかを観察することもでき、今後の解析が期待されます。

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図6 ハムシにナノスーツ法を適用した電子顕微鏡観察

別種にも本技術が適用できるか調べるために、ハムシの体表面をナノスーツで保護し、生きたまま電子顕微鏡で観察した。(A)高真空下でも脚が動いているために、丸印で囲んだ部分の前脚は大きくブレてしまいフォーカスを合わせることはできない。(B)脚がたまたま静止している時にフォーカスを合わせることができる。脚微細構造の高真空/高解像度写真。

今後の展開

これまで観察されてきた「生きた状態に類似した死んだ生物の微細構造」ではなく、開発した「ナノスーツ」を用いて、FE−SEM観察できなかった「生きた状態でさまざまな生物試料の微細構造」を観察できるようになります。それに加え、小動物や細胞などの極微細領域での動きの直接観察が可能になり、生物がもつ未知の現象や行動、組織や細胞間相互作用などの解明が期待されます。

本手法を注意深く用い、多様な生物の生きた状態での微小領域での高分解能電子顕微鏡観察により、数多くの機能や微細構造を解明できれば、生物学、農学や医学などの生命科学分野での発展のみならず、生物模倣技術をはじめとする「ものづくり」の分野への著しい発展に大きく貢献するものと期待されます。

用語説明

(注1) プラズマ重合
空気やアルゴンなどの気体に電圧をかけてプラズマを発生させ、そのプラズマと有機物質との反応により生じたラジカルを起点としてモノマーを重合させる方法。
(注2) 細胞外物質(ECS)
細胞の外側に分泌される物質一般をいう。ここでは、個体の外側に細胞内から分泌されて集積している物質を意味している。
(注3) 生物模倣技術
動物や植物などの多様な生物の表面構造や機能を学び模倣し、新規材料を開発する技術。バイオミメティックスともいう。
(注4) 走査型電子顕微鏡(FE-SEM)
電子線を絞って電子ビームとして対象試料に照射し、試料から放出される二次電子などを検出することで観察する電子顕微鏡。最近普及されている電界放射型走査型電子顕微鏡(FE-SEM)は、解像度が高く高倍率での観察が可能であるが、高真空環境下(10-5-10-7Pa)に試料を保つ必要がある。
(注5) 透過型電子顕微鏡(TEM)
対象試料に電子を当てて、それを透過してきた電子が作り出す像を観察する電子顕微鏡。そのため、生物試料では化学固定したものをプラスチック系の溶剤に包埋・固化したのち、できるだけ薄く切り出して観察することが多い。重金属などを用いて試料にコントラストをつける。

論文情報

Yasuharu Takaku, Hiroshi Suzuki, Isao Ohta, Daisuke Ishii, Yoshinori Muranaka, Masatsugu Shimomura, and Takahiko Hariyama, "A thin polymer membrane, nano-suit, enhancing survival across the continuum between air and high vacuum" Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America (2013) (Abstract)(新しいタブで開きます)

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