スピントロニクス人工ニューロン素子の超省エネ制御手法を開発

2020年08月20日

東北大学電気通信研究所
東北大学先端スピントロニクス研究開発センター
東北大学スピントロニクス学術連携研究教育センター
東北大学国際集積エレクトロニクス研究開発センター
東北大学材料科学高等研究所

発表のポイント

  • スピントロニクス技術を用いた人工ニューロン素子を個別に制御できる重要技術を開発
  • ニューロン素子の特性のゲート電圧による広い範囲での変調を低消費電力で実現
  • 「ニューノーマル」時代での活躍が期待される人工知能ハードウェアへの応用が期待

概要

神経回路を模したシステム(人工知能ハードウェア)を構築し、脳に迫るエネルギー効率で高度な情報処理を実現するための研究開発が盛んに行われています。高効率な人工知能ハードウェアを実現する上で、電子の持つ電気的性質と磁気的性質(スピン)の同時利用に立脚するスピントロニクス技術の活用が有望視されています。

国立大学法人東北大学電気通信研究所の深見俊輔教授、金井駿助教、大野英男教授(現、総長)は、ヨーテボリ大学(スウェーデン)のJohan Åkerman教授のチームとの共同研究により、人工知能ハードウェアへの応用が期待されるスピントロニクス技術を用いた人工ニューロン素子の特性を低消費電力で個別に制御できる重要技術を開発しました。

今回開発された技術は音声や動画像の認識、健康状態のモニタリング、限られた情報からの未来の予測などを得意とするリザバーコンピュータなどへの応用が見込まれ、「ニューノーマル」時代に向けて今後益々の発展が期待されます。

本研究成果は2020年8月11日に英国の科学誌「Nature Communications」のオンライン速報版で公開されました。

詳細な説明

背景 — スピントロニクス人工知能ハードウェア —

「ニューノーマル」時代においては、限られた曖昧な時系列情報から特徴を抽出してその意味を理解し、未来を予測できるような新しいコンピュータの実現が重要となります。人工知能(AI)と総称される技術では、脳の情報処理様式に着想を得たプログラムを古典的なコンピュータ上で実行することで画像認識などの高度な演算を実現します。この技術はすでに情報社会の重要な基盤となっていますが、弱点もあります。それは、スペックの高いコンピュータとそれを駆動するための比較的大きな電力、及び学習のための膨大なデータが不可欠であるという点です。この先の情報社会の更なる発展のためには、ソフトウェア技術に立脚したAIに加えて、ハードウェアのレベルで新技術を導入することで個人が携帯できるような端末において極めて限られた電力で曖昧な情報も処理できる「人工知能ハードウェア」が求められます。

電子の持つ電気的性質(電荷)と磁気的性質(スピン)の同時利用により発現する新たな物理現象の工学利用を目指すスピントロニクス[注1]は、この「人工知能ハードウェア」の実現と発展に寄与できると期待される重要な学術分野です。スピントルク発振[注2]はスピントロニクス関連現象の一つであり、これを利用した“スピントロニクス発振素子”は神経回路におけるニューロン[注3]の機能を模擬できることから、人工ニューロン素子としての人工知能ハードウェアへの応用が期待され、国内外で活発な研究開発が行われています。しかしこれまでは、演算を行う前段階の学習過程で必要となる、ニューロン素子の特性を個別に制御する手法が確立されておらず、これが応用に向けた大きな課題でした。

結果 — スピントロニクス人工ニューロン素子の高効率電圧制御 —

今回、東北大学とヨーテボリ大学(スウェーデン)の研究者からなる共同研究チームは、図1に示されたゲート電極が形成された蝶ネクタイ型のスピントロニクス発振素子(人工ニューロン素子)を試作し、素子特性の制御に取り組みました。この蝶ネクタイ型の素子は以前にヨーテボリ大学のチームによって開発されたもので、2019年12月に64個の素子からなるネットワークを用いて音声認識の原理実証実験に成功したことが報告されています。また今回作製した発振素子の材料には東北大学が以前に開発していた高品質W/CoFeB/MgO積層構造が用いられています。研究チームは、半導体集積回路で広く用いられているゲート電圧制御の手法を適用することで、発振素子の特性(具体的には発振周波数、放出される高周波信号強度、発振周波数スペクトルの線幅、発振に必要な閾値電流など)を広い範囲において高いエネルギー効率で変調できることを確認しました(図2)。特にスペクトル線幅を決めるギルバートダンピング定数[注4]の実効値は、従来の常識では考えられない大きさである42%も変調されていることが分かり、数値シミュレーションとの比較からこれが特異なエネルギー緩和機構によってもたらされていることが明らかになりました。

成果の意義と今後の展望

スピントロニクス発振素子を人工ニューロンとして用いたネットワークは時系列情報の処理を得意とするリザバーコンピュータ[注5]などへの応用が有望視されています。今回の成果により、ネットワークの構成要素となるニューロン素子の特性を個別に制御できる手法が確立されました。これは、ネットワーク全体が所望の機能を実現するようにニューロン素子を任意にチューニングできることを意味しており、ネットワークの機能性を大幅に高められるものと期待されます。また、本研究から強磁性ナノ構造におけるエネルギー緩和に関する新たな機構が明らかになり、これは学術的観点からも重要な知見と言えます。今後は、今回確立したニューロン素子の個別制御技術と、これまでに構築してきた素子アレイでの演算技術、及びその基盤となる材料技術を向上させ高度に融合されることで、エネルギー効率に優れた情報処理技術基盤の構築へと発展していくことが期待されます。

本研究は、日本学術振興会・科学研究費助成事業・特別推進研究17H06093、基盤研究(S)19H05622、日本学術振興会・研究拠点形成事業などの助成を受けて行われたものです。また、東北大学は、研究、教育、イノベーションと次世代育成を通じてスウェーデンと日本の大学をつなぐことを目的として推進されているMIRAI2.0プロジェクトに2020年から参画しており、今後も大きな成果の創出に向けてより一層連携を強めていくことが計画されています。

図面

図1)作製した人工ニューロン素子の電子顕微鏡写真と断面模式図。

図2)スピントルク発振素子の発振特性のゲート電圧依存性。黄色や赤色の領域は、その電流、その周波数において強い発振が起こっていることを意味する。a, b, cではそれぞれ印加するゲート電圧が異なっている。ゲート電圧によって発振が起こる領域が異なっていることが分かる。詳細な解析から、各電流で発振が起こる周波数、発振している領域の幅(線幅)もゲート電圧によって変化していることが分かった。

用語解説
注1)スピントロニクス
電子の持つ電気的性質(電荷)と磁気的性質(スピン)を同時に利用することで発現される物理現象を明らかにし、工学的に利用することを目指す学術分野。従来は不可能であった磁気的性質や磁化方向の電気的な検出や制御、電気伝導特性の磁場や磁化による制御などが可能となる。
注2)スピントルク発振
ナノスケールの磁性体に直流電流が導入された際、伝導電子の持つスピンと磁性体の磁化の相互作用によって、磁性体の磁化ベクトルが一定周波数で定常的に振動する現象。スピントルク発振が起こる素子を複数接続させると、それらの間の相互作用によって発振が同期することが知られており、この同期現象がスピントルク発振素子を人工知能ハードウェアに利用する上での基礎となる。
注3)ニューロン(神経細胞)
神経回路網を構成する細胞の一つ。人間の脳には 1000億個以上のニューロンがあると言われている。入力信号(入力スパイク)に応じて出力信号(出力スパイク)が生成される。入力信号強度と出力信号強度の間に非線形性があること、状態が短期的に保持されること(短期記憶)、などの特徴が知られている。スピントルク発振[注2]素子はこの非線形性や短期記憶を模擬できる。
注4)ギルバートダンピング定数
磁性体の磁化の動的な性質を特徴づける物理量の一つ。磁性体の磁化に有効磁場が働くと、コマの回転軸がすりこぎ運動をするように、有効磁場の周りで歳差運動する。そしてコマの回転軸が摩擦によって徐々に倒れていくのと同様に、磁化ベクトルは有効磁場の方向に収束していく。ギルバートダンピング定数はこの収束の速さを特徴づける物理量であることから、磁気緩和定数、磁気摩擦係数などとも呼ばれる。
注5)リザバーコンピュータ
リカレントニューラルネットワークの一種であり、入力層、リザバー層、出力層からなる。リザバー層は複数のニューロンが比較的“疎”に結合したネットワークからなり、状態を短期間記憶する機能、同じ入力に対して同じ出力を出す機能(コンシステンシー)、異なる入力を区別する機能などが求められ、それを実現するために非線形性がありかつ短期的な状態の記憶が可能な物理系を用いることが好ましい。

掲載論文

Title: “Giant voltage-controlled modulation of spin Hall nano-oscillator damping”
(スピンホールナノ発振器のダンピングの巨大電圧変調)
Authors: Himanshu Fulara, Mohammad Zahedinejad, Roman Khymyn, Mykola Dvornik, Shunsuke Fukami, Shun Kanai, Hideo Ohno, and Johan Åkerman
Journal: Nature Communications
DOI: 10.1038/s41467-020-17833-x新しいタブで開きます

問い合わせ先

研究に関すること

東北大学電気通信研究所
教授 深見 俊輔

Tel: 022-217-5555
E-mail: s-fukami@riec.tohoku.ac.jp

報道に関すること

東北大学 電気通信研究所 総務係

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E-mail: somu@riec.tohoku.ac.jp