科学に主観性を持ち込む

古い段ボールを整理していたら,昔の数学セミナーの書評を発見した. 1988年7月号に掲載の「ファジイ理論とその応用」(水本雅晴著,サイエンス社)の書評である(そのPDFはリンク先にある).亀井哲治郎さんがバリバリの編集長の時代である. 標題はやや誤解を招く表現ではあるが,あえてそのまま掲げた.実はこれはその年の1月号のファジイ理論の解説を書かれた菅野氏の副題にあると冒頭に記載されている.これは言い換えれば「あいまいなものに定量的な客観性」をもたせようというのがファジイ理論の主眼であることを,主客逆転した言い方で主張しているわけである. ここでその後のファジイ理論は...と続けたいところであるが,それは専門家に任せるとして,これが気になったのは,少し前から「不確実性」 ”Uncertainty quantification”の話がいろいろな分野で頻繁に使われるようになってきたからである. なんらかのモデルで現象を予測しようとすると,パラメータ値や初期条件に曖昧さが残る. それらがある確率分布をもつとして,それがどのように伝播し,予測に影響を与えるのかを考えようというわけである. とくに私が興味のある分岐理論では,パラメータについての uncertainty が気になる.なぜなら分岐現象はその前後で大きく解の振る舞いが定性的に変化するからである.大雨なのか快晴なのかという違いがどれくらいの確率で起こりうるのかは重要である.周りの環境はゆっくり変化していても,ある瞬間に現状とは全く異なる事態になってしまうことを”Tipping”が起こると力学系の研究者は好んで使うが,このときに周りの環境を決めているパラメータの変化のスピードが重要である. 怖いのは知らず知らずにこの変化のスピードが加速しているときであろう. Tipping point にどれだけ近いかは重要であるが,そこへの近づく早さも大切である.これはおそらく主観的に感じ取ることはかなり難しい.

1988_数セミ書評_07-88

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