贋作事始め-その2-

贋作事始め-その1- (2021年10月15日)に述べた巻頭言を以下に付けておく.これは故三村昌泰氏が代表者であった科研費特定領域研究(B) 11214101 のニュースレター第3号(2000年8月)に載せた巻頭言(はじめに)である.標題は付けていなかったのだが「贋作のすすめ」とでも言うべき内容である.この特定領域研究のテーマは「非線形非平衡現象を支配する特異性の解明」であった.数学者以外に非線形物理の理論・実験の方々が数多く参加されており,モデル論議を戦わせるには,恰好の場であった.

はじめに

もっと多くの「偽物」が出される必要があるだろう。しかも上質のものを。贋作も一定のレペルのものがある量以上集まれば、それは限りなく近い本物、場合によってはそれを凌いでしまうこともある。安南、ペルシャ、エジプト、ドイツのマイセン、オランダのデルフトときて、これが中国風磁器の贋作のシルクロードといえば驚かれる人も多いであろう。むろんこれらが すべて景徳鎮の青磁と同じ程度というわけではないが、その地方の独自性、歴史性を反映しており興味は尽きない。マイセンで当時(17世紀末から18世紀初頭)のザクセン王フリードリッヒ・アウグストが軍資金の補助のため、金と同じ価値をもつ磁器を錬金術匠に作らせた話は有名である。いわば偽物作りが世界経済の活性に大いに貢献したわけであった。人が表現するものは焼物であれ、数学であれ、それを鑑賞する人が全くいなければ本物も偽物もない。一 定の質をもった作品がある程度出回り、同時にそれを味わえる人数があるレペルを越えるとそれが元々どうであったかは問われなくなり、場合によってはそこから別の本物が出てくる。私がつきあっている非線形現象の多くもその詳細を見れば、結構複雑であり、蛇口からしたたり落ちるしずくひとつをとってみても、液体によっては、すう一と単調に落ちているわけではなく、自己相似という入れ子構造をもつことがわかっている。散逸構造の雛型としてよく出されるBZ反応という化学パターンもその詳細なプロセスは何百という過程をへており、本当のところは本職の化学屋さんにも明らかではないらしい。それでも簡約化(縮約)というプロセスを経て、もっともらしいモデル方程式が提出され、実際それが単に定性的のみならず、定量的にも結構いいとなると、現象の予測にも使われたりする。さらに面白いことは多種多様な現象、むろんそれらは微細なメカニズムは全く異なるにも拘らず、最終的に簡約された形に大いに共通性が出てくることである。この簡約化は絵画というより、ジャコメッティの作品のような彫刻に近いように思われる。不要なものは取り去り、残すぺきところは切り詰める。ここで見過ごされてはならない事が2点ある。まず本物とはなにか?もとの動かしがたい現実としての現象と、極端に削られこれ以上単純化できないある(数理的)実体。どちらが本物という議論は楽しいが、あまり意味はないだろう。どちらも本物といえる。次にそのふたつの本物の間によこたわるおびただしい数の偽物である。ものは言いようと捉えられると困るのであるが、ふたつの本物を支えているのはこれら偽物なのである。というよりこれらがなければ本物は色褪せた看板でしかない。通常の数学の営みは後者の数理的実体を追い求め、その中で閉じたものと見なされ、贋作製作およびそれに伴う本物へ至る泥臭い道はしばしば見落とされてしまう。しかしいい偽物は積極的に認める必要があるし、その製作は大いに奨励されるぺきであろう。多くの人が鑑賞に足る偽物はもう偽物ではなくなるのだから。

 

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