スピントロニクスで脳型コンピュータ向け新素子

2021年11月30日

国立大学法人東北大学
科学技術振興機構(JST)

スピントロニクスで脳型コンピュータ向け新素子

~ニューロンとシナプスの機能を一体化~

発表のポイント

  • ニューロンとシナプスの機能が一体化されたスピントロニクス素子技術を開発
  • 連結されたスピントロニクス振動子(ニューロン)間の同期発振の起きやすさをメモリスタ(シナプス)により不揮発に制御することに成功
  • リザバー計算機やイジングマシンなどの脳型コンピュータの開発を新たな章へ

概要

脳の仕組みに学んだコンピュータ「脳型コンピュータ」の実現に向け、脳神経回路で重要な役割を担っているニューロン(注1)とシナプス(注2)を模した人工素子が開発されています。東北大学電気通信研究所の深見俊輔教授、金井駿助教、大野英男教授(現東北大学総長)、ヨーテボリ大学(スウェーデン)のJohan Åkerman教授らの共同研究チームは、スピントロニクス(注3)技術に基づくニューロンとシナプスが統合された人工構造を作製し、脳における「同期の制御」の機能を初めて実現しました。

共同研究チームは、ニューロンの機能を果たすスピントロニクス振動子(注4)を数珠状に連結し、その連結部分にシナプスの機能を果たすメモリスタが配置された一体化構造を作製しました。そしてこの振動子がスピントロニクスの効果により位相を揃えて振動する「同期発振(注4)」の起こる条件を、連結部分のメモリスタで自在かつ不揮発に制御できることを実証しました。

振動子が連結された構造はリザバー計算機(注5)やイジングマシン(注6)などの脳型コンピュータの構成要素としての利用が有望視されています。今回の実験では従来の研究とは異なり、ニューロンとシナプスが統合された構造での機能が実現されており、小規模ながら脳神経回路の動作様式を比較的忠実に再現しています。すなわち、脳の柔軟性と効率性に迫る脳型コンピュータの実現に向けた開発を新たな章へと導く成果と位置付けることができます。

本研究成果は2021年11月29日付(英国時間)で英国の科学誌「Nature Materials」でオンライン公開されました。

詳細な説明

脳型コンピュータ

私たちの脳は20 W程度の電力で、曖昧さを許容しながら複雑な情報を柔軟かつ効率的に処理しており、コンピュータの性能向上に向けた一つのモデルと見なせます。すでにソフトウェア技術では脳の情報処理を単純化した深層学習などの手法が開発され、人工知能(AI)と総称されて広く社会で利用されています。最近ではこれに加えてハードウェアのレベルで脳の構造や動作様式を積極的に取り入れ、古典的なコンピュータが苦手とする処理を補完する「脳型コンピュータ」を実現しようとする研究が進められています。

脳の神経回路網は多数のニューロンからなる複雑なネットワークで成り立っており、その接続部分にシナプスが位置します。よって脳神経回路をより忠実に模倣した脳型コンピュータを実現する上では、人工的に形成した多数のニューロン間の接続を、同じく人工的に形成したシナプスで自在に制御できることが望まれます。ここ数年、人工ニューロン素子、人工シナプス素子の実現を目指す研究が多数行われる中、次なるステップとしてそれらを組み合わせてネットワーク構造として機能を創出する方法を開拓する研究が求められていました。

ニューロン・シナプス一体化スピントロニクス素子

今回、東北大学とヨーテボリ大学(スウェーデン)の研究者からなる共同研究チームは、人工ニューロンの有力候補であるスピントロニクス振動子(オッシレータ)(注4)と人工シナプスの有力候補であるメモリスタからなる小規模なネットワーク構造を作製しました。作製した構造の模式図と電子顕微鏡像が図1に示されています。スピントロニクス振動子を連結した構造では、個々の振動子の磁化が位相を揃えて振動する「同期発振」と呼ばれる現象が起こることが知られており、この現象を脳型コンピュータの動作原理として利用することが期待されています。

研究チームは連結部分に形成されたメモリスタに電圧を印加することで、振動子の同期発振の起こりやすさ(振動子間の結合)を自在に変えられること、およびその結合状態を規定するメモリスタの状態が不揮発に保持されることを実証しました。これは、「人工ニューロンからなるネットワークにおいて、ニューロン間の結合を可塑的に変えられる」という点において、脳神経回路の機能を比較的忠実に再現しており、これまでなされてきた多くの研究を基礎にして、脳型コンピュータ開発を新たな章へと導く成果と言えます。

原理

研究チームは上述の結果の物理的な原理を明らかにすることを目的とし、単一のスピントロニクス振動子(人工ニューロン)とメモリスタ(人工シナプス)からなる構造を作製し、その動作を詳しく調べました。その模式図が図2に示されています。

非磁性のW(タングステン)と強磁性CoFeB(コバルト鉄ホウ素)からなる積層構造の狭窄部分がニューロンとして機能する振動子に相当します。ここに膜面内方向に特定の条件を満たす電流が導入されると、CoFeBの磁化に定常的な歳差運動(発振)が誘起されます。発振が起こる条件はCoFeB層の磁気特性で決まり、またその周波数は導入する電流に応じて変化します。

一方、図2においてMgO(酸化マグネシウム)、AlOx(酸化アルミニウム)、SiNx(窒化シリコン)からなる積層構造はシナプスとして機能するメモリスタに相当します。メモリスタでは上部のTi(チタン)とCu(銅)からなる電極に印加する電圧の履歴に応じて電気抵抗が変化し、高抵抗状態 [図2(a)] ではメモリスタ内には電界が発生し、低抵抗状態 [図2(b)] ではメモリスタ内に電流が流れます。

メモリスタが高抵抗状態と低抵抗状態のいずれの場合でも振動子(人工ニューロン)の発振特性や振動子を連結した際の同期のしやすさ(結合状態)を変調でき、またその変調の程度はメモリスタ(人工シナプス)の状態に依存することが確認されました。これが、今回実証された各振動子間での同期発振の起こりやすさの局所的制御と保持を可能とするメカニズムです。

研究の意義と今後の展望

今回の成果は、ニューロンとシナプスをそれぞれスピントロニクス振動子とメモリスタで模擬し、人工ニューロン間の結合を人工シナプスで可塑的に制御できることを示したものであり、脳神経回路の基本的な機能を比較的忠実に再現しています。振動子の同期現象を利用したネットワークはリザバー計算機やイジングマシンなどの構成要素としての利用が有望視されており、スピントロニクスに限らず様々な分野で活発な研究が行われています。今後、今回開発された技術の動作電力の低減や大規模化に向けた技術開発が進展することで、脳の柔軟性、効率性に迫る脳型コンピュータの実現へと繋がっていくものと期待されます。

本研究の一部は、科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業・CREST JPMJCR19K3、日本学術振興会・科学研究費助成事業・特別推進研究17H06093、基盤研究(S)19H05622などの支援を受けて行われたものです。

図面


図1) 本研究で開発したニューロンとシナプスの一体化構造の模式図(a)と走査電子顕微鏡像(b)。W(タングステン)、CoFeB(コバルト鉄ホウ素)、MgO(酸化マグネシウム)、AlOx(酸化アルミニウム)からなる積層膜が4つの狭窄部を持つようにパターニングされており、それがSiNx(窒化シリコン)で覆われ、狭窄部と狭窄部の間にはTi(チタン)とCu(銅)からなる上部電極が形成されている。W/CoFeB積層構造に電流(ISHNO)を導入すると、スピンホール効果などによって狭窄部でCoFeBの磁化が発振し、振動子として動作する(このことから電子顕微鏡像ではスピンホールナノ振動子(SHNO1,2,3,4)と表記されている)。またTi/Cuからなる上部電極に電圧(VM)を印加すると、その履歴に応じて直下のMgO/AlOx/SiNxの電気抵抗が不揮発に変化する。すなわちメモリスタとして動作する。


図2) 実験で明らかになった動作原理の説明図。(a)メモリスタが高抵抗状態の場合は、上部電極に電圧(VM)を印加すると、メモリスタ部分には電界が発生する。これによってCoFeB層に蓄積される電荷量が変化し、磁気特性が変調される。(b) メモリスタが低抵抗状態の場合は、メモリスタにはイオンの橋(Conduction Bridge)が形成され、上部電極に電圧(VM)を印加すると、W/CoFeB層へと電流が流れる。またこの橋の電気抵抗はアナログ的に変えられる。よって、高抵抗状態と低抵抗状態のいずれの場合も、上部電極に電圧をかけることで発振特性を変調でき、その程度はメモリスタの状態で制御できる。

用語解説
注1)ニューロン(神経細胞)
神経回路網を構成する細胞の一つ。人間の脳には1000億個以上のニューロンがあると言われている。入力信号に応じた出力信号を生成する。入力信号強度と出力信号強度の間に非線形性があること、状態が短期的に保持されること(短期記憶)、などの特徴が知られている。スピントロニクス振動子(注4)はこの非線形性や短期記憶を模擬できる。
注2)シナプス
神経回路を構成するニューロン間の接合部の構造のこと。シナプスの信号伝達特性の変化により、ニューロン間の信号の伝達のしやすさ(結合強度)がアナログ(連続)的に変化する。またこの結合強度は一定期間保持され(可塑性を有する)、これが人間の記憶情報と対応している。人間の脳には100兆個以上のシナプスがあると言われている。
注3) スピントロニクス
電子の持つ電気的性質(電荷)と磁気的性質(スピン)を同時に利用することで発現される物理現象を明らかにし、工学的に利用することを目指す学術分野。従来は不可能であった磁気的性質や磁化方向の電気的な検出や制御、電気伝導特性の磁場や磁化による制御などが可能となる。
注4)スピントロニクス振動子(オッシレータ)、同期発振
ナノスケールの磁性体に電流が導入された際、スピントロニクスの効果によって磁性体の磁化にトルクが働き、一定周波数で定常的に振動するように設計された素子をスピントロニクス振動子(あるいはスピントロニクス発振器、スピントロニクスオッシレータ)などと言う。振動子を複数連結すると、それらの間の相互作用によって発振の位相が揃う(同期する)ことが知られており、この同期現象がスピントロニクス振動子を脳型コンピュータで利用する上での基礎となる。スピントロニクス振動子の具体例として、磁気トンネル接合から構成され膜面直方向に電流を導入するスピントルクナノ振動子(Spin-Torque Nano Oscillator:STNO)と、Wなどの非磁性重金属とCoFeBなどの強磁性層の積層構造で構成され膜面内方向に電流を導入するスピンホールナノ振動子(Spin-Hall Nano Oscillator:SHNO)などがある。今回の研究では後者が利用されている。これまでにヨーテボリ大学のグループにより100個程度の振動子での同期発振が実証されている。
注5)リザバー計算機
リカレントニューラルネットワークの一種であり、入力層、リザバー層、出力層からなる。リザバー層は複数のニューロンが比較的“疎”に結合したネットワークからなり、状態を短期間記憶する機能、同じ入力に対して同じ出力を出す機能(コンシステンシー)、異なる入力を区別する機能などが求められ、それを実現するために非線形性があり、かつ短期的な状態の記憶が可能な物理系を用いることが好ましい。スピントロニクス振動子からなるネットワークはこのリザバー層への適用が有望視されており、これまでに簡易的な音声認識の原理実証実験などが行われている。
注6)イジングマシン
強磁性体や反強磁性体の磁気秩序の発現機構を記述するイジング模型を用いて情報処理を行う計算機の総称。磁性体では個々のスピンが交換相互作用により結合しており、これは脳神経回路において個々のニューロンがシナプスを介して結合しているのと類似していることから、脳型コンピュータの一種と見なすこともできる。

論文情報

Title: “Memristive control of mutual SHNO synchronization for neuromorphic computing” (脳型コンピューティング向けスピンホールナノ振動子の同期発振のメモリスタによる制御)
Authors: M. Zahedinejad, H. Fulara, R. Khymyn, A. Houshang, M. Dvornik, S. Fukami, S. Kanai, H. Ohno, and J. Åkerman
Journal: Nature Materials
DOI番号: 10.1038/s41563-021-01153-6新しいタブで開きます

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