同期現象の数理

1.同期現象の歴史

同期現象の歴史は17世紀のヨーロッパにまで遡ります。時は大航海時代、安全かつ正確に航行するためには誤差のない正確な時計が不可欠でした。ところが当時の時計は日時計が主流、場所によって太陽の位置は変わってしまうため船の上では役に立ちません。そこで正確な機械仕掛けの時計の開発は科学者にとって最重要課題の1つでした。当時、振り子時計を発明して、さらに改良を重ねるために研究に没頭していたホイヘンス(1629 - 1695, 光の屈折に関するホイヘンスの原理でも有名)は、壁に掛けた2つの振り子時計の振り子の運動が、いつもいつの間にか揃ってしまうことに気付きました。壁の微小な震動を通して2つの振り子が互いに力を及ぼし合っていたのです。これが同期現象の最初の発見だと言われています。振り子の同期現象は、メトロノームを使って簡単に実験できます。トップページの実験動画をごらんください。

はじめはバラバラ・・・・
でもいつもまにか揃ってしまう。

 

このように、多数集まったの同一の“モノ”たちが、互いに影響を及ぼし合うことによってその足並みを揃えてしまう現象を同期現象と呼びます。

 

2.どんな同期現象があるの?

現在では同期現象は自然界の様々な場面で発見されており、特に生物に関わることが多いのが特徴です。例えば1本の木にたくさんホタルが集まると、皆同じタイミングで点滅しだして大きな光を作り出します。(Youtubeなどで動画を探してみてください)。鳥やカエルには、やはり周りの仲間たちと同じ周期で鳴くことで大きな音を作り出す種類がいます。

人間の体は同期現象の宝庫です。我々の心臓の拍動は、心筋細胞と呼ばれる心臓を構成する細胞たちの振動によって生まれます。1つ1つの細胞が自分勝手に振動していては心臓はうまく動いてくれません。細胞たちが同期して、同じタイミングで震えることによって、大きな拍動を生み出すのです。細胞たちの同期がうまくいかなくなると心筋梗塞などの病気になります。我々の手足は脳からの命令で動きます。脳からの命令は電気信号によって手足に伝えられるのですが、では脳はどうやって電気を作っているのでしょうか。脳の中にある細胞(ニューロン)の1つ1つは、細胞膜の内側と外側の電位差を使って小さな電流を生み出すことができます。たくさんの細胞たちが同期して、同じタイミングで電流を放流させることで、大きな電気信号を作っているのです。

 

3.どこが面白いの?

近年、同期現象は分野の垣根を越えて様々な研究者によって研究されています。上の例のように、同期現象を研究することは人間の体の理解にも結びつきますから、物理学者や生物学者が精力的に研究するのもうなづけるでしょう。ここでは、少し専門用語も交えますが、数学の研究対象としての面白さを伝えたいと思います。

高校で物理を学んだ人は、質点や電荷の運動がニュートンの運動方程式と呼ばれる方程式で記述されることを知っていると思います。より一般に、自然現象を数学の方程式を使って表すことをモデル化と呼びます。今、1つの振り子の位置 x1(t) が、次のような微分方程式によって記述されるとします。

微分方程式について知らない人は、ともかく振り子の位置(振れ角)を時間の関数として x1(t) と表すと、それが上の方程式を解くことによって得られるものだと思ってください。次に、これとまったく同じ振り子時計を準備しましょう。同じ時計なのだから、この2つ目の振り子の位置 x2(t) も、上とまったく同じ方程式を満たします。そこでこの2つの時計を隣同志に壁に掛けて、相互作用するようにします。すると、方程式に相互作用を表す項が付け加わって、次のようになります。

G(x1, x2) が、1番目の振り子が2番目に与える力の大きさ、G(x2, x1) が、2番目の振り子が1番目の振り子に与える力の大きさを表しています。時間 t が進むにつれて、この方程式の解がどのように振舞うかを研究する分野を力学系理論といいます。もし t が十分大きいところで x1(t) = x2(t) となれば、2つの振り子が同期したことになります。では、もし振り子がもっともっとたくさんあったらどうでしょうか。振り子時計がたくさんある状況がイメージしにくければ、細胞でも何でも構いません。相互作用し合うN個の物体たちは次のようなN次元(N変数)の方程式に従うでしょう。

G(xi, xj) は、j 番目の物体が i 番目の物体に及ぼす影響の大きさを表しています。同期現象の難しさは、Nがとてつもなく大きい場合があることです。これまで力学系理論で研究されてきた方程式は、変数Nの数がとても小さいものばかりでした。例えば地球と太陽の運動の場合は N=2 ですね。ところが細胞の個数は何億、何兆とありますから、従来の理論ではとても太刀打ちできないわけです。現在、このように変数の数が圧倒的に大きい大自由度力学系、無限自由度力学系の理論は、従来の力学系理論のテクニックに加えて、統計力学、グラフ理論、関数解析など、他の分野とも関わりながら少しづつ発展しています。

 

4.何の役に立つの?

同期現象のメカニズムが分かるとどういう応用が考えられるでしょうか。ポイントは、パワーが小さいものたちが力を合わせて大きなパワーを生み出すことです。この性質をうまく使えばいろんな場面で利用できそうですね。例えばジョセフソン接合(量子力学の原理で小さな電流を生み出す装置)をたくさんつないで得られる回路は、うまく同期が起こるようにつないでやれば、大きな電流を発生させることができ、これはすでに医療器具などで用いられています。心筋細胞の同期をコントロールできるようになれば心臓のペースメーカーも作れますね。

数学の強みはその普遍性にあります。細胞だろうが電気回路だろうが、もしそれらの根底にある数学的構造が同じであれば、同じ手段で研究できるのです。数学の研究はゆっくりゆっくりとしか進みませんが、1つの問題が解けたときに周りの分野に与える影響は計り知れなく大きいものです。大自由度力学系の分野はまだまだ発展途上で、物理や工学など他の分野の研究者からも、強力な数学的道具の出現が待ち望まれています。